• 日々のみ言葉 2019年12月7日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年12月7日(土)

    ◎聖書箇所【使徒の働き18章24節】
    18:24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

    ◎ショートメッセージ
    《パウロは医者ルカと共に、紀元 53年の秋に第三回伝道旅行に赴きました。ガラテヤの地方およびフルギヤの教会を次々に巡っては、すべての主にある弟子たちを力づけて行ったのです。

     ところで、ルカは、ここから場面を一新しています。そしてエペソにやって来たアポロについて言及し始めるのです。
     彼はアレキサンドリヤの生まれだと言うことです。

     アレキサンドリヤとは、アレクサンドロス大王によって紀元前332年にエジプトの北海岸に建設された都市で、プトレマイオス王朝時代からローマ帝国の時代、さらにキリスト教時代の下エジプトの中心的な都市でありました。
     アレキサンドリヤはギリシヤ世界の首都として建設され、地中海とマレオティス湖の狭い地峡の上につくられ、エジプトのデルタ地帯の北海岸にある大きな海港都市であったのです。この港はファロス島とロキアス岬によって形作られ、商業や戦いに適しており、ローマへの穀物のおもな輸出港でもありました。
     アレキサンドリヤの商業船は当時最大で、通常はポテオリに直航するが、時折パウロの乗った船のように悪天候の時には小アジヤの沿岸近くを航行したこともあったようです。.
    アレキサンドリヤは、海岸に沿って長さ24キロ、幅1.6キロほどの広さを持っていました。プトレマイオス王朝のもとで最も繁栄しましたが、ローマ帝国時代においても、ローマに次ぐ第二の都市になっていたのです。
     プトレマイオス王朝は40万から90万巻の蔵書を有する図書館を設立しました。これが有名な「アレキサンドリヤ国家図書館」です。
     アレキサンドリヤは重要な文化の中心地で、卓越した大学をも誇っていたのです。大学はアテネの偉大な学校を模倣して造られましたが、すぐにアテネの学校を追い越します。特に数学、天文学、医学の分野で名高く、また文学と芸術も盛んであったようです。
    人口は60万から70万ほどで、ユダヤ人、ギリシヤ人、エジプト人によって構成され、ユダヤ人はギリシヤ人と同等の特権を与えられたため、多くの者が定住しました。
     ユダヤ人の住民は、ここを世界中のユダヤ人の中心と見なしていたくらいです。ヘブル語旧約聖書のギリシヤ語への翻訳(70人訳)は、アレキサンドリヤにおいて紀元前3世紀頃行われたと言われています。
     この70人訳は、離散のユダヤ人の聖書となり、新約聖書の記者たちが一般に使用したのもこの聖書でありました。
     やがてアレキサドリアにも福音が伝えられ、教会が作られます。このキリスト教会は福音書記者ヨハネ・マルコが設立したと言われています。
     おそらくバルナバと共に伝道旅行を行なった時に、彼らがアレキサンドリヤに寄った時かも知れません。
     ルカは特にアポロが、聖書(旧約)に通じていたことを明確にしています。いかにアレキサンドリヤの「70人訳」の聖書が、与える貢献が大きかったことが分かります。
     今現在でも、この「70人訳」は、「セプトゥアギンタ」と呼ばれ、全文が残されており、また研究の対象にもなっています。主の恵みは、本当に素晴らしいですね。》

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