◇◆◇2019年12月8日第二アドベント礼拝
◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書20章30節~31節】 (新約p.205上段左側)
20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
◎メッセージの概要【ほかの多くのしるしをも】
《ヨハネは20章の最後に、自分の注釈を付け加えています。
『この書には書かれていないが、まだ他の多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。』
この注釈から二つの意味が取れます。一つは、復活された主イエス様が、生きておられるしるしを十一弟子の前で行なったと言うことです。
もう一つは、ここまでのヨハネの福音書における「7つのしるし」を指して述べていることです。この後、「ガリラヤ湖」における「大漁の奇跡」が書かれていますから、後者であると思われます。
それでは、ヨハネが慎重に選んで書き記した「7つのしるし」を見てみましょう。
最初のしるしは、「カナの婚礼」において、水を葡萄酒に変えると言う奇跡でした。これは、ご自身が創造主であると言うしるしです。
『イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネの福音書2:11)』
二度目のしるしは、カペナウムに住む王室の役員の息子のいやしです。これは命の君であると言うしるしで、死から命へと移すことが出来るというしるしです。
『イエスはユダヤを去ってガリラヤにはいられてから、またこのことを第二のしるしとして行なわれたのである。(ヨハネの福音書4:54)』
三度目のしるしは、ベツサイダの池の38年間も患っていた病人のいやしです。これも命の君のしるしであり、いやし主であると言うことです。
四度目のしるしは、唯一すべての福音書に掲載されている『五千人の給食』の奇跡です。これは、主イエス様ご自身が、人々に、霊的命を与えるパンであると言うしるしなのです。
五度目のしるしは、ガリラヤ湖において、主イエス様が、水の上を歩かれたと言う奇跡です。これは、すべてを支配しておられる主であると言うことです。
六度目のしるしは、生まれつき目が見えなかった青年のいやしです。これは、ご自身こそが世の光であると言うしるしなのです。
そして七度目のしるしが、ラザロのよみがえりです。しかもこの奇跡はヨハネの福音書にしか記載されてはいません。これも命の君であることのしるしです。
この「7つのしるし」以外に、まだ他の多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた、とヨハネは言うのです。そのことは、ヨハネがそのしるしと奇跡の真の目撃者であることも証しています。
次にヨハネは、「これらのことが書かれた」理由を述べています。それは、主イエス様を直に見た証人として、知らない世代へのメッセージであります。
『イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため』であると言うのです。
第Ⅰの手紙の冒頭には、その理由がもっと明確に、かつ詳細に書かれています。
『初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちの言葉について、このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。』
そして、『あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。』と締めくくっています。
この「いのち」こそ、「永遠のいのち」なのです。同じく第Ⅰの手紙において、
『そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。』と詳しく説明しています。
ヨハネは、福音書の最後にこのように締めくくっています。
『イエスが行なわれたことは、他にもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。』と。
つまり、公生涯の三年半にわたって、そしてよみがえられてからオリーブ山において、十一弟子たちの見ている間に昇天するまでの40日間、私たちの知らない多くのしるしと奇跡を主イエス様が行なわれたことをヨハネは証しているのです。
そして私たちこそ、「見ずに信じる者は幸いです」と言われた者たちとなります。私たちは、主の語られた「み言葉」を、約束を、預言を信じる者なのです。そればかりではありません。主イエス様は、その約束された通りに、十二使徒たちが体験したように、多くのしるしや奇跡を私たちにも見せてくれるはずなのです。》