◇◆◇2019年12月22日クリスマス礼拝
◎本日の聖書箇所【ルカの福音書2章8節~20節】 (新約p.100上段最初)
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いと一緒に、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
2:17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
2:18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
2:19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
◎メッセージの概要【クリスマスとは?】
《四つの福音書に共通に書かれている記事は、主イエス様の「十字架」と「復活」、そして「五千人の給食」の奇跡です。
そして主のご降誕のことが、詳しく書かれているのはルカの福音書だけなのです。つまり、当時のエルサレム教会、およびクリスチャンたちは、主のご降誕を祝うのではなく、十字架と復活を盛大に祝っていたと伝えられています。
さて、今日の箇所は、クリスマス礼拝において、最も用いられる有名な箇所です。ルカが言う「この土地」とは、エルサレムおよびベツレヘム郊外の草原を指します。そこに羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていました。彼らはユダヤ人でありながら、同胞とは認められず、しかも人間扱いもされず、ユダヤ人の会堂に入ることも、許されない人たちでありました。「強盗」と「羊飼い」は同じ意味として考えられていたくらいです。
御使いは、ユダヤ人の中において、最も虐げられた人々であった羊飼いたちの所に、「喜びの知らせ」を伝えに来たのです。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
御使いは、「あなたがた」すなわち「羊飼い」たちに語っています。そして彼らは、「ダビデの町」がどこであるのかを知っています。彼らはユダヤ人なのです。メシヤがどこでお生まれになることも知っています。
主が生まれる700年も前に、イザヤと同時代の預言者ミカによってこう預言されています。
『ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、私のために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。』と。
御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合います。
「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせて下さったこの出来事を見て来よう。」
これがクリスマスです。クリスマスとは、キリストをミサすると言う言葉が合わさって出来た合成語で、「救い主を礼拝する」と言う意味なのです。羊飼いは、「喜びの知らせ」を、ただ聞いただけでなく、生まれたばかりのみどりごであられる主イエス様に会う為に、礼拝しに行ったのです。そしてマリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てます。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行くことになります。
クリスマスとは、メシヤなるイエス・キリストがお生まれになられた日であることを、世界中の誰もが知っています。しかし多くの人々にとっては、それは単なる知識であって、また聞いただけであって、実際にはこの羊飼いたちのように、イエス様に会う為に、また礼拝する為に、主のご臨在される場所にやって来て礼拝しようとはしません。つまり、多くの人々の心の中に、魂の中に、そして霊の中にイエス様はお生まれになってはいないのです。
イエス様は、死ぬ為にお生まれになられました。もちろん私たちも皆死にます。それは自分の罪の為です。なぜなら罪の報いが「死」であるからです。しかしイエス様は違います。 何一つ罪をおかされず、私たちすべての人々の罪を身代わりに背負われて、十字架にかかられ、血を流す為にお生まれになられたのです。罪の代価は血を流すことだからです。
私たちは、「クリスマス」こそ、もう一度、主がお生まれになられた理由と意味を覚え、そして心から、生ける神の御子であられるイエス様を礼拝すべき時なのです。》