◇◆◇日々のみ言葉
2020年1月2日(木)
◎聖書箇所【第Ⅰテサロニケ5章16節~18節】
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。2020年標題聖句の二回目となります。
「いつも喜んでいなさい。」とは、「周りや環境に左右されない不動の喜びを持ちなさい」、と言うことでした。
私が救われた時には、突然、私の心の中に溢れんばかりの「喜び」が訪れました。木々は輝き、草花は主を賛美し咲き誇り、風は優しく頬をなで、鳥たちは主をほめたたえる歌を声高くさえずっていました。
澄みきった青空には、光の洪水が湧き上がり、雲の切れ目から、いくつもの光の帯が、地上に降り注いでいたのです。
世界が一変しました。主イエス様にお会いする前までは、私の世界はモノクロでしたが、主にお会いした後には、総天然色の美しい世界になったのです。
この「喜び」こそが、パウロの伝えようとする「喜び」なのです。私の心の奥底に、いや最も深い暗闇の中に、届いた光でもありました。
さて、今日は5章17節の「絶えず祈りなさい。」と言うことについて考えて見たいと思います。
これは、「一日24時間、いつも声を出して祈り続けなさい」と言うようなことではありません。
そんなことは不可能です。出来るはずもないことです。私たちは、睡眠を取りますし、食事も取ります。また働らいている人は、仕事をしなければなりません。
「絶えず祈りなさい。」
パウロが言います真意は、「いつも主との交わりの為に心を開いていなさい」と言う意味なのです。
「いつも喜んで」いる為には、主との交わりが必要不可欠なのです。「いつも喜ぶ」ためには、絶えず祈ることが必要不可欠なのです。
祈りは一方通行ではありません。
神様に、こちらが機関銃のごとく、立て続けに要求や願い事を連発することが祈りではありません。祈りは神様との親しい交わりなのです。
こちらが話した後、主から答えを聞き出さなければならないのです。主は答えて下さいます。主の答えを聞く為には、こちらは黙らなければなりません。主の御声を聞く姿勢を取らなければならないのです。
主は生きておられます。イエス・キリストは昨日も今日も何時までも同じなのです。
また、イエス様の方から話しかける時もあります。何時もこちらから話始める必要はないのです。
「絶えず祈りなさい。」とは、そのように、何時いかなる時であっても、主の御声を聞こうとする姿勢、謙虚な態度を持つことを指しているのです。
明日は、18節について考えて見ましょう。》