◇◆◇日々のみ言葉
2020年1月25日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き20章15節~16節】
20:15 そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。
20:16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。
◎ショートメッセージ
《アソスにおいて、ルカ一行とパウロは落ち合いました。そしてパウロを船に乗せてミテレネに着いたのです。おそらく、アソスでもパウロは陸路を行くつもりでいたようです。それ故に、ルカたちはパウロを船に乗せたわけです。
さて、ミテレネから出航して、翌日キヨスの沖に達しました。キヨスとは、小アジヤの西方、エーゲ海に浮ぶギリシヤ諸島の一つで、スミルナ湾の入口に北のレスボス島と南のサモス島の間に位置しています南北約55キロ、東西約20キロほどの島のことです。 この島は古くから栄え、芸術も盛んであって、天才的詩人ホメロスは、この地で生まれたと伝えられています。自由都市として繁栄していましたが、新約時代にはローマの支配化にありました。パウロは第3回伝道旅行の帰途、この沖合を船で通過したのです。
そして次の日、彼らはサモスに立ち寄ります。サモスとは、エーゲ海の南部、アジヤ西海岸の近く東西40キロ、面積約490平方キロほどの島のことです。
ユダヤ歴史家ヨセフォスは、サモスをヘレスポントからシリヤに向かう船の寄港地の一つに数えています。ピュタゴラス(紀元前582~497年)はこの地の出身者と伝えられています。
紀元前133年以後、ローマの統治下におかれ、紀元前17年には自由都市として、自治権を認められました。この地に、ユダヤ人が多く住んでいたことが、聖書外典第Ⅰマカベア記に書き記されています。
そしてミレトに着きました。ミレトとは、小アジヤ西部、カリヤ地方のメアンデル川の河口に位置し、エペソの南約60キロにあった港湾都市のことです。古くからキヨス、サモス、エペソなどと共にイオニア同盟を結んでいた12の都市国家(後スミルナが加わって13)の一つで、紀元前11世紀以降には、イオニアの政治、経済、文化の中心都市となりました。紀元前133年以降ローマの支配下に入りました。
パウロが存在した新約聖書の時代には、アジヤ州ではエペソに次ぐ大都市でした。現在のパラティア付近に、アポロ神殿、アテネ神殿、小アジヤ最大の劇場、アゴラや議事堂等を含む、おもにローマ時代のミレトの遺跡が残されています。
パウロが活躍した時代には、ここに多くの人々が存在し、古代都市ミレトは、繁栄の極みを見せていたのです。しかし、今は巨大な廃墟が残されているだけです。
歴史は過ぎ去ります。私たちが今現在置かれている状況も、時間も場所も、やがては過ぎ去り、歴史となって、刻まれて行くことになります。
しかし、主イエス様が、すべての時を握っておられることが真実であり真理なのです。なぜなら、このお方こそが創造主なる神様であり、主なのですから。》