◇◆◇日々のみ言葉
2020年2月10日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き21章1節】
21:1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
◎ショートメッセージ
《今日から、使徒の働きは21章に入ります。
「私たち」とは、執筆者ルカが同行していることは明白です。さてミレトを出航したパウロ一行の船は、まず「コス」に立ち寄ります。
コスとは、小アジヤ南西端に近いエーゲ海の島のことです。東西が40キロ余りで、南北は約10キロの小さな島です。
古くからドーリア人が住み、肥沃な土壌から、ぶどうとブドウ酒、麦を産し、また絹や紫染料の生産によっても栄えました。
ことに紀元前4世紀の中頃に、クニド半島の対岸に首都が設けられて後の繁栄は、目覚しいものがありました。特産物の一つである軟膏と薬効のある泉から、医神アスクレピオスの神殿が建てられ、またこの地に生れたヒポクラテス(前460~375年頃)は、医学校を開いて「医学の父」と呼ばれたのです。
何と、今でも医学部での卒業式の時に、この「ヒポクラテスの誓い」が宣誓されるとのことです。これは驚くべきことです。
また、この島に多くのユダヤ人が住んでいたことが知られています。パウロが活躍していた紀元53年には、ローマ皇帝クラウディウスによって自由都市に昇格しました。
そして翌日、ロドスに着きました。
ロドスとは「ばらの島」という意味です。エーゲ海の最も東寄り、小アジヤ南西部、カリヤ地方の南海岸の沖合約19キロにある島のことです。
ドデカネス群島最大の島で、広さは約1400平方キロあり、水も草木も豊富で、首都ロドスは北東の海岸にあります。
ロドスは地中海世界では、アレキサンドリヤとカルタゴに並ぶ大通商都市でありました。紀元前16世紀頃から繁栄していたのです。新約聖書の時代においても、ロドスはなお港、城壁、市場等を持った自由都市として存続していました。
紀元前2世紀頃には、交易や関税収入で、経済的に最も繁栄し、その航海術は地中海世界に広く影響を与えたとのことです。
この頃に、かなりの数のユダヤ人がロドスに移住していたことが、旧約聖書外典第Ⅰマカベア記には書かれています。
そして続いて、港町パタラに到着します。
パタラとは、小アジヤ南西部にあるルキヤ州の重要な港町のことです。パウロは第三回伝道旅行の帰路に、エルサレムに向かう途中、ここでフェニキヤ行きの船に乗り換えました。
この町には、壮大なアポロ神殿が建てられていました。現在ゲレミシュと呼ばれる村があり、城壁、神殿、劇場と公衆浴場など、ローマ時代の繁栄をしのばせる遺跡が残されています。
ルカとパウロがここに立ち寄った時には、それはそれは、たくさんの人々に溢れ、賑わっていたに違いないのです。》