• 2020年2月9日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2020年2月9日 第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書21章15節~19節】 (新約p.230上段右側)
    21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に私を愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「私の子羊を飼いなさい。」
    21:16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「私の羊を牧しなさい。」
    21:17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたは私を愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「私の羊を飼いなさい。
    21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
    21:19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「私に従いなさい。」

    ◎メッセージの概要【あなたは私を愛していますか】
    《今日は、イエス様が十一弟子たちの為に用意された「朝の食事」の楽しい交わりの時が済んだ後の出来事からです。
     この場面も、ヨハネの福音書独自の記載であって、イエス様と食事を終え、満足しているシモン・ペテロとの魂の触れあい、師弟愛の麗しい交わりを見ることになるのです。
     ここから語られる多くのメッセージは、イエス様が言われる「アガペー(無償の愛)」、そしてペテロが言う「フィレオー(友愛)」についてですが、今回は、違った観点からこの場面を考えて見たいと思います。
     四つの福音書のすべてに、ペテロの三度にわたるイエス様の否定の預言と、その言葉が成就する場面が描かれています。ルカの福音書によりますと、
    『「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、私はあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度私を知らないと言います。」』と書かれています。
     これはルカ独自の記述であって、特に「サタンに許可が与えられた」ことと、「ペテロが立ち直る」ことが語られています。しかしペテロが立ち直るためには、復活されたイエス様が、使徒の中において、最初にペテロに現われることが、絶対に必要でした。
     さて、数時間後に預言が成就します。場所は大祭司の家の庭です。ペテロが三度目に否定した時、鶏が鳴きます。その時、イエス様が振り向かれて、ペテロを見つめられます。ペテロとイエス様の目と目が合います。この後、ペテロは外に出て激しく泣くのです。
     さて、今日の聖書箇所です。ガリラヤ湖畔における朝の食事が終わった時、イエス様がペテロを方を向いて、質問なさいます。
    「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に私を愛していますか。」
     この質問の真意は何でしょうか。イエス様が、ペテロが心ならずも否定してしまったことへの赦しと、心の傷を癒す為に、投げかけられたと思えます。しかし、それはペテロからの視点です。今回は、イエス様の視点から考えて見たいのです。
     イエス様は、創造主なる神様です。しかし、神様であると同時に、まことの人でもあるのです。それゆえに人格をお持ちです。主は私たちと同じように、感情を持っておられます。
     愛する弟子であるペテロが、たとえサタンの誘惑による結果であったとしても、裏切った時に、また三度も否定した時に、イエス様はどんな気持ちを持たれたのでしょうか。親しい友に裏切られて、喜ぶ人はいるのでしょうか。
    「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか。」
    「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」
     私は、イエス様が本当に聞きたかった答えは、この答えではないと思っています。主が聞きたかった答えは、
    「主よ。私はあなたを愛しています。三度も知らないと言った私をお許し下さい。」です
     ペテロの三度の否定によって、イエス様ご自身も、悲しまれ、傷つかれたのです。
     パウロは、このように「エペソ人への手紙」において命じています。
    『神の聖霊を悲しませてはいけません。』
     聖霊はイエス様の霊でもあられますから、主も悲しまれることは明白なのです。
     このガリラヤ湖畔の食卓の場面において、イエス様は、ペテロの罪の赦しと、心のいやしをなされましたが、イエス様の観点からにおいても、ペテロとの愛の交わりが回復したのです。》

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