◇◆◇日々のみ言葉
2020年3月27日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き23章11節】
23:11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムで私のことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
パウロは再び牢獄に戻されました。彼はローマ市民と分かった為、鎖には繋がれませんでしたが、状況は変わりませんでした。
その夜のことです。パウロのもとに主イエス様が来られました。夢の中に現われたのか、あるいは実際に見える幻のようにして現われたのかは判断出来ませんが、パウロには、はっきりと主イエス様であることが分かったのです。
ところで、パウロは主イエス様を直にその目で見ているのでしょうか。伝承によりますと、紀元5年頃に、パウロはキリキアのタルソで生まれています。そして紀元10年頃に、両親は家族を伴ってエルサレムに移住して来たと伝えられています。
主イエス様は、紀元前6年から5年にお生まれになられたと考えられますので、パウロとは、10才から11才年上となります。
主イエス様の公生涯は、紀元24年から27年もしくは紀元25年から28年と考えられますので、主イエス様の公生涯の時のサウロは、19才あるいは20才の青年であったことになります。
まさしく、若くして議員となったあの若者こそ、かつてのサウロである可能性は、非常に高いのです。そして紀元10年からエルサレムに住んでいるとしたら、主イエス様の公生涯を知らないはずはありません。またバプテスマのヨハネの存在さえも知らないはずは、あり得ないことなのです。
結論から言います。
パウロ(サウロ)は、主イエス様を知っています。その御姿を見、またその声を直に聞いているのです。しかしその時には、「救い主」ではなく、パウロに取っては、何の関係もないガリラヤの田舎者のラビにしか過ぎなかったのです。
「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムで私のことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」
この言葉は、主イエス様の「約束」であり、また「保証」でもあります。パウロは何があっても、必ずローマに行き、必ずローマにおいて証しをすることになると言う、絶対的な「約束」と「保証」です。
主イエス様が約束なされたことは必ず成就します。主イエス様が語られたことは、すべて成就します。しかし、その成就する「時」は、主の御手の中にあり、私たちの考えている時間とは、異なる場合が多いのです。
聖書は言います。「神の時は、時にかなって美しい」と。》