• 日々のみ言葉 2020年7月23日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年7月23日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書2章16節~18節】
    2:16 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
    2:17 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。
    2:18「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。今日は特に、17節から18節に書かれたエレミヤ書からの引用の預言の成就について、共に考えて行きたいと思います。

     まず「ラマ」とはどこでしょうか。
    ラマとは「高い所」と言う意味です。この名が名付けられた町が旧約聖書の中には5つほど出て来ます。その全部の町を指すのではなく、預言者エレミヤが言及したベニヤミン族の町、イスラエルの小さな町のことです。
     紀元前586年、バビロンのネブカデネザル王はエルサレムを攻略しましたが、その時捕虜となった人々は、このラマに集められてからバビロンへ連行されました。エレミヤが釈放されたのはこのラマにおいてです。
     エレミヤは「ラケルがその子らのために泣いている」と言って、ラマの捕囚民の悲惨さを描いた箇所が、エレミヤ書31章15節となります。
     この言葉から、ラマにラケルの墓があったとする伝説が残っています。ラケルとはヤコブの妻で、ヨセフとベニヤミンの母のことです。
     ラマはベニヤミンの町という関係を念頭におきつつ,母がわが子に寄せる深い情に託して、エレミヤは悲哀を歌ったとされています。イスラエル捕囚から帰還した後、人々はラマに戻りました。
     
     さて、なぜマタイは、エレミヤのこの嘆きの言葉が、ヘロデによる2歳以下の男の子殺害事件の成就として、引用しているのでしょうか。
     解釈の多くは、イスラエルの捕囚時の苦しみがヘロデの残虐行為による嘆きと重ね合わせたと言うことです。それほどの苦しみが、バビロン捕囚の時にはあったのです。

     ヘロデの行なったこの行為に対して、神様が黙っているはずはありませんでした。紀元前4年、ヘロデは突然、奇病で息絶えます。それは内蔵が腐って、中から数百匹のうじが出て来たと言うのです。

     主イエス様は「ゲヘナ」のことをこのように言われました。
    『「もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちにはいるほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。そこでは、彼らを食らううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」(マルコの福音書9:45~9:48)』と。
     まさに、この裁きが下されたと言っても、よいのかも知れません。》

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