◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月26日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章25節】
6:25「だから、私はあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物より大切なもの、からだは着物より大切なものではありませんか。」
◎ショートメッセージ
《現代訳は、
「ですから良く聞いておいて下さい。あなたがたは、何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを心配したり、また何を着ようかと、自分の体のことを心配してはいけません。命は食べ物よりもはるかに大切ですし、体は着る物よりもはるかに大切なものではありませんか。」と訳されています。
「心配」とは、どのような意味でしょうか。
広辞苑によりますと、
①心を配って世話すること。配慮。心遣い。
②心にかけて思い煩うこと。不安に思うこと。気がかり。憂い。
と、二つの意味のパターンが描かれています。
それでは、ここで主イエスが言われているのは、どちらの意味に当てはまるのでしょうか。
間違いなく、①ではなく②です。
「心遣い」と「思い煩い」とでは、実は正反対の結果を生みだします。もし心遣いであるならば、それは行動を引き起こします。しかもそれは積極的であり肯定的なのです。
しかし、思い煩いますと、その人の健康は失われて行きます。そして、それは周囲に伝染し、不安は不安を引き起こします。すると、その人の行動は停滞し、さらに消極的となり、否定的になって行くのです。
「あなたがたは、何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを心配したり、また何を着ようかと、自分の体のことを心配してはいけません。」と主イエスは言われますが、そう言われても心配してしまうのが私たちなのです。
それでは、なぜ心配するのでしょうか。
答えは簡単です。主イエス様を信頼していないからです。主の言われた言葉を、実は信じていないからです。
しかも、主の言われた言葉は、単なるお勧めではありません。それは命令なのです。
それゆえ、本当は、
「だから、私はあなたがたに命じます。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけない。」が正しいのです。そして、「私を信じ、信頼しなさい。」と、本当は続くのです。》