◎本日の聖書箇所【使徒の働き6章1節~7節】
6:1 その頃、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。
6:2 そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神の言葉を後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、
6:4 私たちは祈りと、み言葉の奉仕に専念します。」
6:5 この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、
6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。
6:7 こうして、神の言葉はますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。
◎メッセージ【七人の執事の選出】
《エルサレム教会は、新しい段階に入って来ました。「その頃」とは、紀元34・35年頃の事です。主イエスの復活から、8年から9年が過ぎています。弟子の数は、かなり増えていました。 もはや、十二使徒だけでは手が回らなくなって来たのは当然です。またこれだけの人々が集まっているのならば、当然トラブルが発生しても不思議ではありません。なぜなら教会は、罪赦された罪人の群れだからです。
教会には様々な問題が起こって来ます。問題が起こったことが問題ではありません。その問題に向き合って、いかに主の導きによって解決することが大切なのです。
さてエルサレム教会に問題が起き、しかもその問題が十二使徒に提起されたのです。その内容は、『ギリシア語を使うユダヤ人たち(ヘレニストと呼ばれ、外国生まれで外国育ちのユダヤ人でギリシャ語で読み書きし、ギリシャ語聖書を用いている)から、ヘブル語を使うユダヤ人たち(ヘブライストと呼ばれ、生粋のユダヤ人。主にアラム語を話す)に対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。』と言うことです。
つまり、弟子たちの中には、二つの群れがあったことになります。それはパレスチナ生まれで、パレスチナで育った生粋のユダヤ人たちの弟子。彼らは、どちらかと言いますと、先祖伝来の律法を重んじる保守的なユダヤ人が多かったのです。
そしてペンテコステの日に、すなわち聖霊降臨日に、集まって来た外国生まれで外国育ちのギリシャ系ユダヤ人たちです。この時、シモン・ペテロの説教によって、三千人が救われ、教会に加えられました。
外国生まれで外国育ちのユダヤ人は、年を取りますと、聖地エルサレムのひざもとに葬られたいと願う人が多く、祖国に戻って来る人がかなりおりました。そうして、そこに取り残されたやもめもまたかなりいたのです。生粋のユダヤ人の場合には、やもめとなっても若い人たちと一緒に住んでいましたから、身寄りのないやもめは必ずしも多くはありませんでした。ペンテコステ以後、すでに8年から9年が経っていましたから、外国から帰って来たギリシャ系ユダヤ人の妻の中にはやもめになった者もいたと思われます。そのやもめたちが、毎日の食事の配給において、ないがしろにされがちであることが提起されたのです。そこには、言葉の壁があった可能性もあり、また外国生まれで外国育ちの弟子たちは、彼らだけで集まる傾向が強く、同様にやもめたちも、アラム語よりもギリシャ語を話す者たちと仲間を募る傾向があったと思われます。
さて、十二使徒は主に祈り求めました。
「私たちが神の言葉を後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、み言葉の奉仕に専念します。」
この提案を、一同が喜んで受けたのです。ここで使徒たちは、4つの条件をだしています。 一つ目は「あなたがたの中から」すなわち、教会員の中からと言うことです。
二つ目は、「御霊に満ちた人」、すなわち聖霊に支配され、パウロが言います御霊の実が実っている人のことです。
三つ目が「知恵に満ちた人」であり、知識ではなく知恵であって、いつもキリストのまことの知恵を求めている人のことです。
四つ目が、「評判の良い人」で、この言葉のもともとの意味は、「証しされている人」と言う意味であって、教会内においても、世間においても立派な人であるという良い証しが出来ている人のことです。それこそが、キリストの香りを届けることが出来るのです。
パウロはピリピ教会の弟子たちにこう勧めています。
『最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。』と。
そして彼らは、「信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び」ます。
彼らの名前は全員がギリシャ名で、もちろん彼らはギリシャ語とアラム語の両方を読み書きできるのです。この七人の執事たちが、エルサレム教会の実務を行なうことになります。
さて、エルサレム教会内の問題は解決し、再び教会は御霊によって一致団結しました。この執事の働きにより、教会内に愛が満ちあふれたのです。
かつて、主イエスは十二使徒たちに、このように命じられました。
「私はあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子である事を、すべての人が認めるようになります。」
この言葉通りに、神の言葉はますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えて行きました。そして何と、祭司たちが大勢、次々と信仰に入ったと言うのです。
祭司たちは、サドカイ人であって、復活も霊も御使いも信じない人々です。その彼らが信仰を持ったと言うことは、主イエスの復活を信じ受け入れたことであり、また祭司職を捨てることを意味しています。》