◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月27日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章25節】
6:25「だから、私はあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物より大切なもの、からだは着物より大切なものではありませんか。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。昨日は、「心配」することについて考えて見ました。
今日は、その内容に関して考えて行きたいと思います。
現代訳を再度掲載させていただきます。
6:25「ですから良く聞いておいて下さい。あなたがたは、何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを心配したり、また何を着ようかと、自分の体のことを心配してはいけません。命は食べ物よりもはるかに大切ですし、体は着る物よりもはるかに大切なものではありませんか。」
「何を食べようか」
今日食べるものがないとしたら、どれほど心配することでしょう。私たちは、食べなければ、弱ってしまいます。今日はあっても、明日食べるものがないとしたら、どうでしょうか。しかし、神様は与えて下さると約束されています。それだからこそ、四つの福音書のすべてに、「五千人の給食」の奇跡が書き記されているのです。
「何を飲もうか」
水はなくてはならないものです。年を取りますと、ついつい水分補給を怠ってしまい、脱水症や熱中症を引き起こす原因になるものです。
コンビニエンス・ストアにいけば、飲料水は売っています。また水道の蛇口をひねると水が出ます。
しかし、もし、どこの店に行っても飲み物は全部売れ切れ、水道も断水したとしたら、どうしたら良いのでしょうか。出エジプトをしたイスラエルの民は、まさに荒野にて、その状況に追い込まれたのです。
そのとき、神様はモーセを通して何をなされましたか。
「何を着るか」
若い女性だけでなく、青年も、今日はどんな格好をしようか、と悩むのは当たり前です。しかもそれこそが青春と言えるでしょう。
パウロは、何度も「裸の難」に遭っています。つまり、巡回伝道中に強盗や盗賊に身ぐるみ剥がれたのです。
エリコに下る道において、あるユダヤ人が山賊に襲われ、すべてを奪われ、また大怪我をしました。その時、その人の親身になって助けたのは、良きサマリヤ人であったと、主イエスは言われます。
そのサマリヤ人こそ、主イエスご自身であられるのです。いかに私たちが、実は、主イエス様を、心から信頼していないかが分かると言うものです。
あなたの「平安」の源はどこですか。いいえ。誰にありますか。》