◇◆◇日々のみ言葉
2021年1月23日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書9章18節】
9:18 イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいで下さって、娘の上に御手を置いてやって下さい。そうすれば娘は生き返ります。」
◎ショートメッセージ
《今日から「ヤイロの娘の生き返り」の出来事について学びます。この出来事も三つの共観福音書に書き記されています。
マルコの福音書の並行記事を掲載します。
『イエスが舟でまた向こう岸へ渡られると、大ぜいの人の群れがみもとに集まった。イエスは岸べにとどまっておられた。すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、一生懸命願ってこう言った。
「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいで下さって、娘の上に御手を置いてやって下さい。娘が直って、助かるようにして下さい。」(マルコの福音書5:21~5:23)』となっています。
実はマタイの記事とマルコの記事では、この出来事の前後が逆となっています。ここら辺りにも福音書を執筆する理由を垣間見ることが出来ます。マルコはシモン・ペテロのメッセージを書き留め、それをもとに福音書を書き記しました。マタイはマルコをもとにして、ある程度順番に整理し、欠けていることを付け加えた思われます。
そしてさらにルカは、綿密に調べ上げ、パウロの監修のもとに福音書と続編使徒の働きを執筆しました。よって時制に関しては、もっとも正確であり、また起こった出来事の順に書かれています。明日はルカにおける並行記事を参照します。
さて、マタイは、「一人の会堂管理者」と書いており、実は彼の名前を書き記してはいないのです。これはなぜでしょうか。当時、会堂管理者は数名いました。彼らはユダヤ人の中において、民の指導者に属していました。カペナウムの会堂は、現在でもその遺跡が残されていますが、それはそれは大きな会堂でした。
また、その会堂を造ったのは、駐屯しているローマ軍の百人隊長です。主イエスは、彼が息子同然に愛していた僕の青年をいやされたことがありました。また彼の信仰を絶賛されたのです。
十二使徒の一人マタイ、本名レビは、カペナウムの収税所の取税人の頭でした。その彼がヤイロの名前を知らないことがあるでしょうか。
当時、取税人と遊女は罪人とされ、人間とは認められず、しかも彼らは聖なる会堂に入ることを、決して許されなかったのです。
私は、マタイの心の中には、会堂管理者に対するいやな思いと傷があったのではないかと考えています。
主イエスは、ヤイロの家に、シモン・ペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネだけを連れて行きます。ここにも主の配慮があることを感じます。
ゼベダイはガリラヤ湖の漁師の網元であり、また大祭司の知り合いなのです。もしかしたら、ヤイロはシモン・ペテロとゼベダイの二人の息子とは、顔見知りであったかも知れないのです。もしかしたらヤイロの十二歳になる一人娘のことも、彼らは良く知っていたのではないでしょうか。明日も同じ箇所からです。》