◇◆◇日々のみ言葉
2021年2月2日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書9章26節】
9:26 このうわさはその地方全体に広まった。
◎ショートメッセージ
《「ヤイロの娘の生き返り」の奇跡について、数日にわたり学んで来ましたが、そのまとめとなります。
マタイは、「このうわさ」と書き記しています。つまり、「この奇跡」、あるいは「この事実」とは、あえて書き記してはいないと言うことです。
なぜ「うわさ」なのでしょうか。またどんなうわさが広まったと言うのでしょうか。
「うわさ」には、「良いうわさ」と「悪いうわさ」があることは誰もが知っています。しかし常識から見て考えて下さい。もし「良いうわさ」であるならば、「良いうわさ」ではなく、「良い評判」と言うのではないでしょうか。つまり「うわさ」のほとんどは、「悪いうわさ」だと言うことです。
使徒パウロは、テモテに「若いやもめ」についてこのように教えています。
『若いやもめは断わりなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。
そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。(第Ⅰテモテへの手紙5:11~5:13)』と。
それでは、主イエスのうわさは、どのようなうわさが広まったのでしょうか。それは主イエスがヤイロの娘を生き返らせたと言う奇跡の事実ではなく、主イエスがペテン師だと言ううわさです。その切っ掛けは、主イエスが言われた言葉にあるのです。
「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」
ヤイロの娘は確かに死にました。「死」とは、心臓が鼓動を止めたことを意味します。その瞬間、血液が体中に送られることがストップし、肉体はもはや動かなくなります。
しかし、死とは、魂を持った霊が、その肉体を離れ去ることを意味しています。それゆえ、主イエスが「タリタ・クミ」と言われた時、「娘の霊が戻った」と書かれているのです。
人々は主の言葉じりだけをとらえて、「娘は死んでいたのではなく眠っていたのだ、それを起こしただけだから、ナザレのイエスは嘘つきでペテン師だ。」と言ううわさが広まったのです。
福音書によりますと、主イエスは3人の人を生き返らせます。しかもそれぞれ段階が異なっているのです。
「ヤイロの娘」の場合は死んだ直後です。次に「やもめの一人息子(青年)」の場合には、死後数時間が経ち埋葬される直前になります。
そして「ラザロ」においては、すでに埋葬され、死後4日が経ち、腐って、ウジが湧いている時になります。これは、弟子たちへの「信仰の訓練」とも取れるのです。
一回目は、「死んだのではなく眠っていただけだ」、二回目は「死んだのではなく仮死状態であったのだ」と言ううわさが広まったとしても、ラザロの場合には、もはや誰もが奇跡であることを否定できず、うわさではなく真実と認めざるを得なかったのです。この時、多くのパリサイ人や律法学者たちが信仰を持ちました。
そして、聖都エルサレムにおいて、「うわさ」が「うわさ」ではなくなったのです。その証拠として、そのときユダヤ最高議会は、主イエスを殺そうと決議したのです。》