• 2021年2月7日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き8章1節~3節】
    8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
    8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。
    8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。

    ◎メッセージ【迫害者サウロ】
    《ステパノが最初の殉教者になる場面において、サウロは、証人たちの上着の番をしました。 サウロは、自分の経歴について、こう述べています。
    「私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、エルサレムで育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、神に対して熱心な者でした。」と。
     また、「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。』とも証しています。
     伝承では、紀元10年、5歳の時に両親と共に、タルソからエルサレムに移り住みました。そして、「ラバン(最高のラビ)」と呼ばれ、すべてのユダヤ人に尊敬され慕われていた「ガマリエル」を師とすることになります。主イエスの十字架の時にも、またペンテコステの時にも、ガマリエルは最高法院に議員として健在でありました。
     また、主イエスの三年半におよぶ公生涯の期間中には、サウロはエルサレムに留まっていたことは、ほぼ間違いありません。
     さて、「サウロはステパノを殺すことに賛成していた」とルカは言っています。それは、彼がステパノの議会における答弁を聞いていたからです。だからこそ、その全文が使徒の働きに掲載されているのです。
     ステパノの答弁において、最も議員たちが怒りを覚えたのは最後の方でした。特に、「あなたがたは律法を受けたのに、それを守らなかった」と言う言葉に対して、パリサイ人や律法学者たちは大いに怒りを覚えたのです。なぜなら、自分たちこそが、律法を完全に守り、正しい聖なる者であると言う自負があったからです。
     さらにステパノは、聖霊に満たされて、力強く続けます。
    「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」
     この言葉が、議員たちを怒りの頂点に誘発しました。罪人として十字架によって処刑された「ナザレのイエス」が神の右の座に立っている、と言うことは、彼らにして見れば決して受け入れることが出来ない事であったからです。
     この直後に、迫害者サウロが誕生します。「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされ、サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。」とルカは書き記していますが、これを実行する為には、最高法院の承諾と、ユダヤ兵の部隊が必要であったことは言うまでもありません。兵を動かす権限と権威を、最高指導者から委譲されなけば、これを実行することは出来ないのです。
     なぜ、青年であるサウロに、これほどの権限が与えられたのでしょうか。その答えは、後のパウロの証しにも有りますように、ラバン「ガマリエル」の弟子であったからです。
     さて、多くの学者は、「サウロはナザレのイエスに直接会ったことはない」と考えたりしていますが、実は三つの共観福音書には、ある一人の役人の青年が登場します。
    『「先生。永遠の命を得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」
    「なぜ、良いことについて、私に尋ねるのですか。良い方はおひとりです。いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」
    「どの戒めですか」
    「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
    「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。」
    「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、私に従って来なさい。」
     この青年は、主の言葉を聞くと、悲しみながら立ち去ります。彼は、多くの財産を持っていたのです。そこで、主イエスは弟子たちに言われます。
    「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
    「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
    「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」
     ステパノの殉教と共に、迫害者サウロが誕生しました。しかし、それからしばらくした後に、ダマスコ途上において。異邦人に遣わされる使徒、新約聖書の半分以上を執筆することになるパウロが誕生するのです。主イエスが言われた預言が、青年サウロに成就するのです。》

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