• 日々のみ言葉 2021年2月18日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年2月18日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書10章11節~15節】
    10:11「どんな町や村にはいっても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人の所にとどまりなさい。
    10:12 その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。
    10:13 その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
    10:14 もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたの言葉に耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
    10:15 まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からです。続きとなります。

    「もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたの言葉に耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。」

     ここでは、主イエスは非常に厳しいことを弟子たちに言われています。特に、彼らを受け入れず、また彼らの言葉に耳を傾けない家や町に対して、さばきがあることを明確に預言されているのです。

     ここで、主イエスが言われていることは、「主の御名によるしるしや奇跡やいやし」を指し、また「主イエスの言われた教え」、すなわち「天の御国」のことを指しています。
     主の御名による御わざを認めず、また主の言葉や教えをあざける者たちには、さばきがあるのです。そして「さばきの日」とは、「白い御座のさばき」のことを表わしています。

     旧約聖書の創世記に書かれた「ソドム」と「ゴモラ」に下されたさばきについては、ユダヤ人なら知らない人はいません。
     しかも、かつてその町が存在したのは、エルサレムに近い「塩の海」、すなわち死海のほとりなのです。
     現在においても、また二千年前においても、その場所が廃墟であることには変わりありません。そのソドムとゴモラよりも罪が軽いと言うことは、どのような意味なのでしょうか。

     もし、時間をさかのぼって、主イエスがソドムとゴモラに救い主として現われたとしたら、二つの町の人々は、間違いなく悔い改めたであろうことを言われているのです。かつてニネベの町が、預言者ヨナの働きによって悔い改めたようにです。

    「あなたがたの足のちりを払い落としなさい」とは、その町やその家から祝福が取り去られることを意味しています。
     
     主イエスがこの世において、実在の人として活動されたのは二千年前のことです。よって私たちは、見ることも触ることも、そのお声をじかに聞くことも出来ませんが、その教えと語られた言葉は、「聖書」に書かれています。
     聖書は、はっきりと主イエスが今も生きておられること、そして再び来られることを語り続けています。》

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