◇◆◇日々のみ言葉
2021年3月12日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書11章1節】
11:1 イエスはこのように十二弟子に注意を与え、それを終えられると、彼らの町々で教えたり宣べ伝えたりするため、そこを立ち去られた。
◎ショートメッセージ
《今日から11章に入って行きます。
現代訳は、
『イエスは十二弟子に命じ終えられると、彼らの町々で教え、また、宣べ伝えるために、そこを去られた。』となっています。
マタイの福音書11章は、おもにバプテスマのヨハネの事について書かれています。その最初に、この節が置かれています。しかし、本来、章と節の切れ目はなく、印刷業者が便宜上、章と節を付したわけです。よって本来は、この節は10章の最後に置かれるべき文であったに違いないと思われるのです。
さて、私たちは、この節をさーっと読み過ごしてしまいがちですが、実は驚くべき真実が隠されています。その箇所は、新改訳も現代訳も全く同じ言葉が使用されています。
それは、「彼らの町々」と言う言葉です。
主イエス様は、十二使徒たちを二人一組にしてガリラヤの町々や村々に遣わされました。地理的にも、六チームが重ならないように、それぞれのチームが行くべき町や村は、ある程度は、決めておられたに違いありません。
しかし、その町の中には、あえてはぶかれた町があったのです。それが「彼らの町々」なのです。これはどういう意味かと申しますと、彼らの生まれ故郷を指すのです。
主イエス様でさえ、故郷ナザレでは歓迎されませんでした。それだけではなく、ナザレの人々は、イエス様につまずいたのです。彼らには、「メシア」ではなく、大工ヨセフの息子でしかなかったからです。
よって、同じことが、十二使徒たちの出身地でも起こりうる可能性があったのです。具体的に、主イエス様はどの町に向かわれ、教え宣べ伝られたのかは書かれてはいませんが、確実に一つの町の名前はあがって来ます。それは「ベツサイダ」です。
使徒ヨハネによれば、
『ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。(ヨハネの福音書1:44)』と書かれています。もしかしましたら、ナタナエル(バルトロマイと同一人物)も同じ町の出身であったかも知れません。
十二使徒の故郷には、彼らではなく、主イエス様ご自身が、いやしと奇跡と不思議としるしを行なわれる為に、一人で向かわれたのです。
ここからも、主イエスの彼らに対する愛と、配慮が感じられるのではないでしょうか。》