• 日々のみ言葉 2021年3月11日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年3月11日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書10章42節】
    10:42「私の弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」

    ◎ショートメッセージ
    《マタイの福音書の学びも、今日で10章を終え、明日からは11章に入って行きます。

     さて、今日のみ言葉の箇所ですが、新改訳聖書の訳は、少し分かりにくく訳されていますので、今日も現代訳を掲載し、比較しながら考えて行きたいと思います。

    『「私の弟子だということで、あなたがたのような小さい者たちを受け入れ、水一杯でも飲ませてくれる人は、確かに、天のお父様の与えて下さる報いをいただくことが出来ます。」』

     私は、かつてこの箇所を誤解して読んでいました。それは「この小さな者たちのひとり」と言う表現のことです。
     つまり、主イエスの弟子たちおよび私が、困っている人々、飢え苦しんでいる人々や子どもたちに、水一杯でも、すなわち献金や支援金を送ることによって、弟子たち、そして私自身が報いを受けることになる、と理解していたからです。

     そうではなく、主語は「その人」なのです。水一杯を与えて下さる「その人」こそが主役であって、報いを受けることになるのです。

     主イエスの弟子たちに、あるいはクリスチャンたちに、好意を持って様々な良き行ないをした「その人」は、たとえノンクリスチャンであったとしても、神様から報いを受けると言うことなのです。なぜなら、それは「主イエス」に対して、行なった事と同じになるからです。

     また、主イエス様は「私の弟子」、すなわち「ご自身の弟子」を「小さい者」と呼ばれています。

     使徒パウロはこう証しています。
    『兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
     また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。(第Ⅰコリント1:26~1:29)』と。

     私たちは、まさしく「小さい者たち」なのです。しかし神様は、そんな私たちを用いて下さいます。何と、光栄ではありませんか。》

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