◇◆◇日々のみ言葉
2021年8月13日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書18章1節~5節】
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、誰が一番偉いのでしょうか。」
18:2 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、
18:3 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。
18:4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
18:5 また、誰でも、このような子どものひとりを、私の名のゆえに受け入れる者は、私を受け入れるのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所とその続きからとなります。
今回は現代訳を掲載します。
『その時、弟子たちが近寄って言った。
「それでは、天国では誰が一番偉いのでしょうか。」
すると、イエスは幼子を呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。
「よく言っておきますが、確かに、あなたがたも悔い改めて、この幼子のように自分をつまらない者と認めなければ、天国にはいることはできません。
(この当時、幼子は今日のように、純真無垢を表わすものとは考えられておらず、つまらない者と考えられていた)
ですから、この幼子のように、自分をつまらない者と考える人が天国で一番偉い人なのです。
また、誰でも、このような幼子を、私の為に受け入れる人は、私を受け入れるのです。」(現代訳マタイの福音書18:1~18:5)』
私は、ユダヤの当時の慣習には驚きを覚えます。またユダヤ人の教育もです。物心が着くか着かない頃から、律法であるモーセ五書を暗誦させ暗記させるのです。
そして13才から14才になる頃に、バル・ミツバを受けます。それに合格しますと、晴れて正式のユダヤ人の大人として認められ、シナゴークの安息日の礼拝に出席することが許可されると言うのです。
それまでは、子どもと言うのは、役に立たない者、あるいはつまらない者であることを徹底的に教えているのです。それゆえ、子どもたちは、バル・ミツバを目指し、日々努力します。そして見事に、バル・ミツバが合格しますと、盛大な催しものが行なわれ、家族・親族でお祝いするのです。
よって、主イエスが言われる「子どものように」とは、幼子のように純真無垢なことではなく、へりくだることを意味しています。そして、悔い改めることをも意味しているのです。》