• 2021年8月15日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き10章44節~48節】(新約p.255下段右側)
    10:44 ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、み言葉を聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。
    10:45 割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。
    10:46 彼らが異言を語り、神を賛美するのを聞いたからである。するとペテロは言った。
    10:47 「この人たちが水でバプテスマを受けるのを、だれが妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」
    10:48 ペテロはコルネリウスたちに命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、何日か滞在してもらった。

    ◎メッセージ【異邦人の扉が開かれた時】
    《シモン・ペテロは、コルネリウスとそこに集まっている人々に語り始めました。
    『「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。このイエス・キリストはすべての人の主です。」』と。特にこの文節の最後の言葉が、そこにいた人々の魂を貫いたのです。それだからこそ、ペテロのメッセージを聞いたすべての人々に聖霊が下られたのです。
     この光景を目撃した、ヤッファからペテロと共に同行した主にある兄弟たちは、驚きました。なぜなら、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたからです。
     彼らは「割礼を受けている信者」なのです。彼らこそ、あの五旬節にエルサレムいた人々であることは間違いありません。彼らは、聖霊が降られた場面を直に目撃した人々なのです。
     五旬節の日の朝の九時に、聖都エルサレムに、突然大きな物音が響きわたりました。
    『さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、この物音がした為、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国の言葉で弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。彼らは驚き不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国の言葉で話を聞くとは、いったいどうしたことか。」』と書かれています。
     コルネリウスを初め、その場所に集っていた多くのローマ人が異言を語り、神様を賛美するのを、ペテロと同行した兄弟たちは聞いたのです。私は、彼らがヘブル語もしくはアラム語で異言を語ったのではないかと考えます。異言は、何の意味のない言葉をただ繰り返すのではなく、ペンテコステの日には、あらゆるの国の言葉で十二使徒たちが、神様の御わざを誉め讃えていたのです。それを聞いた人々には分かったのです。
     今回もその時と同じように、ペテロたちが全く分からない言葉であったとしたら、コルネリウスたちが神様を賛美していることが分からなかったに違いありません。しかしペテロたちは分かったからこそ驚いたのです。神様を誉め讃えていることが。
    「この人たちが水でバプテスマを受けるのを、誰が妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」
     ペテロはコルネリウスたちに、イエス・キリストの名によってバプテスマを授けました。それから、コルネリウスは、ペテロに何日か滞在してもらうことを願い出たのです。その理由は、主イエスの復活の証人としてのペテロの証しと、主イエスの教えを聞く為でした。
     そして、主が計画されたもう一つの理由がありました。正統的なユダヤ人は、外国人と食事をしたり、訪問したりすることは、律法によって許されていません。しかし、主はペテロに幻を通して、どんな人のことも、汚れた者であるとは言ってはならないことを、教えられたのです。そして、主は命じられました。「取って食べなさい」と。
     この時から、ペテロは好んで、異邦人と食事を共にすることになるのです。そしてペテロは、食べてはならないと言われた「豚肉料理」が大好物になったのです。
     主イエスは、シモン・ペテロを通して、「異邦人の救いの扉」を開いて下さいました。その初穂が、ローマ百人隊長コルネリウスです。そしてその扉のカギは、「異邦人の使徒」であるパウロに受け継がれて行くことになるのです。》

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