• 日々のみ言葉 2021年8月15日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年8月15日(日)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書18章6節~7節】
    18:6「しかし、私を信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
    18:7 つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からです。

     ここで主イエスが言われたことは、どのようなことなのでしょうか。
    「小さい者たち」とは、シモン・ペテロの子どもたちを指しています。主イエスはカペナウムのペテロの家を本拠地として、第一回から第三回のガリラヤ宣教をされました。
     その度ごとに主イエスは、かつて熱病をいやしたペテロのしゅうとめ、そしてペテロの妻と子どもたちと、楽しい交わり(食事)のひと時を、弟子たちと共に過ごしたに違いありません。
     聖書には書かれてはいませんが、ペテロのしゅうとめも妻も子どもたちも、主イエスへの信仰を持ち、主を信じていたと思われます。

     しかし、「子どもたち」だけではないのです。主イエスを信じたばかりの信徒、すなわち救われたばかりのクリスチャンをも指し示すと考えられるのです。

    「私を信じるこの小さい者たちのひとり」とは、確かに文章全体から判断しますと、文字通りに、当時のユダヤでは、「価値のない者」あるいは、「つまらない者」とされていた子どもたちを指します。
     しかし、主イエスの預言は多くの場合、二重の意味を持つものが多いのです。よって、真意は、生まれたばかりのクリスチャン、救われたばかりの信徒を指すことになると思われます。

     それでは、いったい誰がつまずきを与えると言うのでしょうか。多くの場合には、先に救われた者たち、すなわち信仰を持ってから、数十年あるいは数年経っている信徒たちのことを指すかも知れません。
     しかし、最も考えられますのが、指導者あるいは教師、牧師が当てはまることになるかも知れないのです。

     それゆえに、主の兄弟ヤコブは警告するのです。
    『私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。(ヤコブの手紙3:1)』と。

     また、主イエスは警告しておられます。
    「つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。」と。

     確かに、この世には信徒につまずきをもたらす悪意ある者は大勢存在しています。しかしそれは、あくまで教会外のことです。私たちが憂うべきことは、教会内のことなのです。

     私は、牧師ですが、本当に恐れおののきます。なぜなら、かつて教会員の方々をつまずかせたからです。もちろん今は悔い改めておりますし、また二度とそのようなことが起きないように、主イエス様に祈り、願い求め続けています。

     取りなしの祈りが必要です。牧師や伝道師や宣教師には、本当に取りなしの祈りが、多く積まれる必要があるのです。あなたの牧師先生の為に何時も祈って下さい。》 

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