• 日々のみ言葉 2021年8月19日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年8月19日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書18章6節~10節】
    18:6「しかし、私を信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
    18:7 つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。」
    18:8「もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
    18:9 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちにはいるほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
    18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられる私の父の御顔をいつも見ているからです。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からです。明日は先に行きます。再度、現代訳を掲載します。

    『「それに反して、私を信じているこのような小さい者たちを、ひとりでもつまずかせる者は、大きな罪を犯したことになります。裁かれても仕方がありません。
     ああ、何とわざわいなことなのでしょうか、この世の中にはつまずきがある。信仰のつまずきが起こることは避けられませんが、人をつまずかせる者は災いです。
     ですから、もし人をつまずかせるものがあれば、たといそれが自分にとってどんな高価なものであっても、それを取り除くだけの勇気が必要です。永遠に祝福を受けるほうが、永遠に呪いを受けるよりは、はるかにましです。
    あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも軽んじないように気をつけなさい。良く言っておきますが、確かに、彼らの御使いたちは、天のお父様の御顔を、いつも天で仰いでいます。」(現代訳 マタイの福音書18:6~18:10)』

     使徒パウロはこう勧めています。
    『あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
     何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜より他には食べません。
    食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れて下さったからです。
     あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
     ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。(ローマ人への手紙14:1~14:6)』

     救われて間もない頃の私は、本当に希望と喜びでいっぱいでした。しかし、正式に教会員となった時に、まるで律法主義のような教会の会則や暗黙のルール等によって、どんどん喜びが消えて行ったのです。
     教会が、ノンクリスチャン時代に背負っていた重荷よりも、重い重荷を与えるようなことは、決してあってはならないのです。
     幸い、その経験が生かされて、今の私があることも事実です。》

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