◇◆◇日々のみ言葉
2021年10月2日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書21章1節~3節】
21:1 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
21:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、一緒にろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、私の所に連れて来なさい。
21:3 もし誰かが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
◎ショートメッセージ
《昨日から、マタイの福音書の学びも第21章に入り、受難週の出来事になります。最初の記事は、エルサレム入場、すなわち「しゅろの日曜日」の記事です。昨日と同じ箇所からとなります。
昨日は、ヨハネの福音書の並行記事から、主イエスと弟子たちが、ベタニヤに来たのは、過越の祭の六日前であることを学びました。主イエスの一行は、マルタとマリア姉妹と彼女たちの弟、よみがえったラザロの所に来られたのです。
この時、安息日において、主イエス一行はエリコから移動したのかどうかは分かりません。
しかし、十字架に架かられた次の日が、過越の祭と重なる大いなる安息日でありましたので、弟子たちと女性たちは安息日を守ったことが、福音書に書かれています。
とするならば、金曜日にエリコからベタニアに移動され、安息日はベタニヤで過ごされたと、考えるのが妥当ではないでしょうか。
主イエスは、公生涯の数年以上前から、二人の姉妹とその弟ラザロとの交流があったことが、バチカン市国の図書館にあります「一世紀の公的記録」に描かれています。
もちろん聖書には書かれてはいませんので、真偽は分かりませんし、み言葉以外から考察することは、あまり良いことではないかも知れません。
しかし、もしそうだとしたら、主イエスに取って、人としての最後の安息日になる日を、以前から親しい友人たちと共に過ごすことは、彼らに対する愛の何物でもないと思われるのです。
また十二弟子たちも、持てなしを受け、つかの間の休息を得たに違いありません。その一週間後の安息日は、絶望のどん底になることを、もちろんこの時には知る由もありませんが。
さて、ベタニヤとベテパゲはさほど離れてはおりません。どちらもオリーブ山の麓にある村です。主イエスは、二人の弟子をベテパゲに遣わします。ベタニアを出て来たのですから、その村に雌ろばとろばの子が用意されていたことになるわけです。
もちろん、雌ろばもそのろばの子も、人の物であることは言うまでもありません。それゆえ主は言われたのです。
「もし誰かが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」と。
これも預言で、実際にその通りになります。持ち主たち(複数)がその場に居合わせたましたが、主が言われた言葉を言うと、渡してくれることになります。つまり、彼らにも、その言葉が与えられていると言うことのです。》