◎本日の聖書箇所【使徒の働き12章12節~17節】(新約p.258下段右側)
12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。
12:13 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。
12:14 そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
12:15 人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。
12:16 だが、ペテロは門をたたき続けていた。彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた。
12:17 ペテロは静かにするように手で彼らを制してから、主がどのようにして自分を牢から救い出して下さったかを彼らに説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてし下さい」と言った。そして、そこを出て、ほかの場所へ行った。
◎メッセージ【召使いロデ(ロダ)】
《御使いによって、奇跡的に窮地を脱出したシモン・ペテロは、すぐに、エルサレム教会に向かいます。そこは、マルコの福音書の著者ヨハネの母マリアの家でした。
さて、そこでは多くの人々が心を一つにして祈っていました。実は、以前に十二使徒全員が、ユダヤの最高議会によって捕らえられ、牢に入れられたことがありました。この時も教会は熱心に祈っていたのです。この時、不思議な事に、夜の間に御使いがやって来て、彼らは奇跡によって、牢から解放されるのです。
しかし、今回は違います。すでに使徒ヤコブは殉教しています。捕らえられたペテロは、夜が明けると、ヘロデ・アグリッパによって、大観衆の前で、死刑の判決を受け、十字架につけられるのです。すなわち、ペテロの命は風前の灯火でありました。教会は、ペテロが以前と同じように、奇跡的に釈放されることを祈り続けていたのです。
そして、釈放されたペテロが門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが出て来ました。ロデとは、「ばら」という意味です。ヨハネ・マルコの母マリヤの家で働いていた女性で、マリヤの家は中心的な役割を果しており、そこにいたロデも固い信仰を持っていたのです。
さて、ロデは、ペテロの声を知っていました。またペテロもロデを知っています。彼女はペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、気が動転して、ペテロが門の前に立っていることを知らせたのです。
ペテロは門をたたき続けました。そこで彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた、と言うわけです。
なぜ驚いたのでしょうか。召使いロデも、また集まっていた弟子たちも、実はペテロの解放を信じていなかったことが分かります。確かに、教会は心を一つにして熱心に祈り続けていました。しかし、その祈りの裏腹に、あきらめと現実と常識があったことが分かります。 なぜなら、ユダヤの王の手から、どうやって逃れることが出来ると言うのでしょうか。
私たちも同じです。私たちは本当に神様を信じ信頼しているのでしょうか。状況や現実から、私たちは神様がおられること、また祈りに答えて下さることを、心から信じ信頼しているのでしょうか。あるいは、今までの経験や常識が邪魔をしていないでしょうか。
私たちは、誰ですか。クリスチャンです。恵みによって、神の子どもとされたのです。神の子どもたちは、主イエスの御名によって、父なる神様に祈り求めることが出来るのです。 しかし、神様を信じる信仰、主イエスに信頼する信仰がなかったとしたら、どうでしょうか。それでは、まったくこの世の人々と同じではありませんか。
ヘブル人への手紙の著者はこう勧めています。
『信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いて下さる方であることを、信じなければならないのです。』と。私たちの神様は、主イエス・キリストは、今も生きておられます。》