• 2021年10月10日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き12章18節~25節】(新約p.259上段右側)
    12:18 朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間で大変な騒ぎになった。
    12:19 ヘロデはペテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じた。そしてユダヤからカイサリアに下って行き、そこに滞在した。
    12:20 さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対してひどく腹を立てていた。そこで、その人々はそろって王を訪ね、王の侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方は王の国から食糧を得ていたからである。
    12:21 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に着き、彼らに向かって演説をした。
    12:22 集まった会衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
    12:23 すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。
    12:24 神のことばはますます盛んになり、広まっていった。
    12:25 エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。

    ◎メッセージ【ヘロデ・アグリッパ】
    《使徒の働き11章30節によりますと、世界的規模で起こった大飢饉の時に、アンティオキア教会は、エルサレム教会に救援物資を送ることを決定します。彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送りました。これは紀元48年頃の出来事です。
     そして、12章25節では、エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて戻って来たと、締めくくられています。この間に挿入されたのが、ユダヤの王ヘロデ・アグリッパによる教会への迫害と、その裁きについてです。アグリッパは紀元44年に急死します。つまり、時系列が逆となっており、使徒ヤコブの殉教とシモン・ペテロの奇跡的な解放は、4年以上前の出来事となるのです。
     今日は、それらのことを踏まえて、三人のユダヤの王と、主イエス・キリストとの関係について学んで行きたいと思います。
     主イエスが、預言通りダビデの町ベツレヘムにおいて生まれた時、ユダヤを支配していたのは、ヘロデ大王でした。東方からやって来た三博士と、エルサレム宮殿で謁見し、幼子主イエスを殺そうとします。しかし、主の使いが夢でヨセフに現われ、主の家族はエジプトへ逃げることになるのです。ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒り、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子をみな殺させました。この罪の裁きが、紀元前4年に下され、ヘロデは生きたまま内蔵が腐って行くと言う奇病に冒され、苦しみ死んで行きます。
     次に、その息子ヘロデ・アンティパス。バプテスマのヨハネの首をはねた王のことです。この王は、主イエス・キリストが十字架につけられる数時間前に、直接出会い、罪の悔い改めの機会が与えられました。何とポンテオ・ピラトがアンティパスの所に送るのです。しかし、主イエスは、彼に何もお答えになりませんでした。
     アンティパスは、紀元38年頃、甥であるヘロデ・アグリッパの策略によって、時の皇帝カリギュラから領地を没収され、妻ヘロデヤと共に追放されることになります。そして紀元39年に流刑地にて没するのです。
     そして、最後に、本日の主人公であるヘロデ・アグリッパです。アンティパスの死後、正式にその領地を譲り受け、祖父ヘロデ大王が所有していた領地をすべて手にします。彼は、紀元44年頃に、エルサレム教会と使徒への迫害を企てます。そして、使徒ヤコブを剣で殺し、さらにシモン・ペテロをも捕らえ、処刑しようとするのです。しかし、御使いによって、ペテロは、奇跡的に助け出されます。アグリッパは、ペテロを捜しましたが見つからないので、16名の番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するのです。この裁きがアグリッパにももたらされます。
     カイサリアのローマ大劇場において、8月1日の皇帝誕生祝日に演説に立った時に、群衆が、「神の声だ。人間の声ではない」と熱狂して叫び、この瞬間に、神様の裁きが訪れます。この時、アグリッパは激しい腹痛に襲われ演説は中止となります。そして5日間もだえ苦しんで、34才と言う若さで急死します。何と、祖父ヘロデ大王と同じく、内蔵をウジ虫に食われて死んで行くのです。
     ここに大切な真理があります。主イエスは、彼が陥れた叔父アンティパスの為にも、また彼の為にも十字架にかかり、死んで下さったのです。この王にも、実は救いは用意されていたのです。使徒パウロは勧めています。
    『「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。』と。
     その時から、二千年近く経ちますが、まだ救いは用意されています。時は残されています。今が救いの時であり、恵みの時なのです。》

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