• 日々のみ言葉 2021年10月10日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年10月10日(日)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書21章18節~22節】
    21:18 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。
    21:19 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉の他は何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。
    21:20 弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
    21:21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
    21:22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からです。今日は現代訳を掲載します。

    『翌朝、イエスはエルサレムに帰って来られると、大変空腹になられた。道のほとりに一本のいちじくの木があるのをご覧になって、近づいて行かれたが、葉の他には何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に、
    「これからは、いつまでも、実がならないだろう。」
     と言われた。すると、たちまち、いちじくの木は枯れた。
     弟子たちは、これを見て、驚いて言った。
    「どうして、いちじくの木は、たちどころに枯れてしまったのですか。」
     イエスは彼らに答えて言われた。
    「よく言っておきますが、確かに、信仰さえあれば、このようなことが出来ます。たとい不可能と思われることでも、神様が可能にして下さいます。あなたがたが祈る時、信じて祈り求めるなら、何でもいただくことができます。」(マタイ21:18~21:22現代訳)』と、なっています。

     また、マルコの並行記事では、11章13節は、こう書かれています。
    『葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉の他は何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。』と。

     それにもかかわらず、主イエスはなぜ、いちじくの木を見に行かれたのでしょうか。実がないことは分かっておられるのに。そしてその木をのろわれるのです。
     すると、マタイでは、弟子たちの見ている前で、瞬く間に枯れてしまいます。しかしマルコでは、枯れる場面を見るのではなく、次の日の朝に、そのいちじくの木が枯れていることを弟子たちは発見することになっています。確かにどちらが正しいのか、考えてしまいますが、大切なことは、主イエスが言われた真理です。

     すなわち、私たちの「祈りの姿勢」についてなのです。現代訳では、
    「よく言っておきますが、確かに、信仰さえあれば、このようなことが出来ます。たとい不可能と思われることでも、神様が可能にして下さいます。あなたがたが祈る時、信じて祈り求めるなら、何でもいただくことができます。」となっています。
     主イエスは、いかに私たちに信仰が足りないかを、教えておられるのです。》

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