◇◆◇日々のみ言葉
2021年10月18日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書21章42節~46節】
21:42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書の言葉を読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
21:43 だから、私はあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
21:44 また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
21:45 祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。
21:46 それでイエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。明日は先に行きます。22章に入って行きます。
主イエスは、ユダヤの指導者たちに対して、厳しいメッセージを送っています。それだけではなく、これから起こることを預言されています。
「だから、私はあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」
ユダヤ人は、真に創造主なる神様が選ばれた「選民」なのです。そのことは、昔も今も永遠に変わらないことです。
その確固たるしるしとして、主イエスは、ユダヤ人としてお生まれになられました。もちろん、主イエスはすべての人の主であり、メシアであられます。このお方以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。
しかし、ユダヤ人の指導者たちは、主イエスを退けることを選びます。最高議会は、主イエスを殺そうとし、しかも自分たちの手を汚さず、ローマ帝国反逆罪として、異邦人によって、十字架刑に処することを策略します。何たる悪行なのでしょうか。
やがて、彼らの思惑通りに、主イエスは十字架に掛けられます。しかしこの事は、悪魔も思いもつかない「救いの奥義」であって、主の十字架によって、流された尊い血潮によって、私たちは救われるのです。何という神様の愛。何という恵みなのでしょうか。十字架以外に、救いはないのです。
パウロはこのように理解しています。
『兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。
「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えた私の契約である。それは、私が彼らの罪を取り除く時である。」
彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません。
ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。(ローマ11:25 ~11:31)』と。
何時の日にか、異邦人の時が終わります。その後、もう一度、ユダヤ人の時が訪れるのです。》