◇◆◇日々のみ言葉
2021年10月22日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書22章8節~10節】
22:8 「そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
22:9 だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
22:10 それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、「王子の結婚の披露宴」のたとえから学びます。
王は、しもべたちに言いました。
「だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。」と。
ここに登場します「しもべたち」とは、御使いを指しています。彼らが「出会った者」とは、その選択の意思は、出会った者にはなく、捜している「しもべたち」に委ねられていることになります。
つまり、こちらが出会うのではなく、「しもべたち」の御使いが出会ったと言うことです。ここから、現在の私たちについて、考えさせられることになります。
すなわち、私たちが出会ったのではなく、恵みとあわれみによって、神のしもべが出会ってくれたと言うことが真実となるのです。
要するに、神様の方から出会って下さったと言うことです。回りくどい言い方をして申し訳ありませんが、神様が私たち一人一人を見つけ出して下さったのです。
最初、主イエス様に出会った頃の私は、人が救われることは容易なこと、簡単なことだと思っていました。
しかし、今は違います。人が救われることは、まさしく最大の奇跡であることが分かったからです。
そして、私が救われた背後には、多くのクリスチャンの兄弟姉妹の祈りがあったこと、また、祈りが積まれていたことも知りました。
このたとえにおいて、神のしもべは、「通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めた」とあります。
「良い人」とは、正しい人であると自画自賛している「ユダヤ人たち」を指し、「悪い人」とは、当時「罪人」として扱われていた「遊女」や「取税人」を指しています。
さて、宴会場は招かれた客でいっぱいになりました。しかし、主イエスが話された「王子の結婚の披露宴」のたとえは、これで終わりではないのです。このあと、集められた人の中には、婚礼の礼服を着て来なかった者がいたのです。
明日は、そのことについて考えて見ることにしましょう。》