• 2021年10月31日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き13章4節~12節】(新約p.259下段)
    13:4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
    13:5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神の言葉を宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。
    13:6 島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。
    13:7 この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神の言葉を聞きたいと願った。
    13:8 ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。
    13:9 すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
    13:10 こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
    13:11 見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。
    13:12 総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。

    ◎メッセージ【地方総督セルギウス・パウルス】
    《サウロ(のちのパウロ)とバルナバによる第一次伝道旅行が始まりました。時期は紀元48年から49年頃だと考えられています。アンティオキアには、セルキヤと言う重要な港がありました。そこから、キプロス島に行く船が出航していたのです。
     キプロスとは「銅」という意味で、地中海の東端にある大きな島の一つで、セルキヤ港から65.6キロの所にあります。キプロスの教会は、サウロによる迫害の逃亡者によって始まりました。パウロとバルナバは、この島を一周しサラミスからパポスまで巡り回ったのです。後にバルナバは、マルコを伴って、キプロスを再訪問し、教会はさらなる発展をすることになります。
     キプロス島は、バルナバの生まれ故郷でもあったにです。そして、助手として同行させたヨハネ・マルコは、彼のいとこでもあました。ユダヤ人は、血筋を非常に大切にします。よって、バルナバの生まれ故郷であるならば、彼の家族や親族、そしてヨハネ・マルコの親族もキプロスにいたと考えられます。彼らに、福音を伝えようと考え、それを実行したことは、愛の行為の何物でもないのです。
     さて、航海も無事に守られ、バルナバの一行は、キプロスの大きな港町サラミスに到着します。サラミスとは、地中海東部に位置するキプロス島の東海岸にあった都市で、西部にあった首都パポスに次ぐ大きな町でした。一行は、まずユダヤ人の会堂で福音を語りました。彼らは、じっくりと時間をかけて島を一周し、そして首都パポスにやって来たのです。パポスとは、キプロス島南西岸の港町で、ローマはここに行政府をおき、地方総督を常駐させていたのです。この時の地方総督は、セルギウス・パウルスでした。
     彼は、バルナバとサウロを招いて神の言葉を聞きたいと願いました。おそらく、アンティオキアにおけるクリスチャンたちの良い評判が、海を越えてキプロス島まで広まっていたからだと思います。さて、バルナバとサウロが、地方総督の邸宅に招待されてやって来ますと、そこへ、バルイエスと言う、別名エリマと言う魔術師が、二人を地方総督に合わせないように策略を企てます。すると、サウロは、聖霊に満たされ、バルイエスをにらみつけて、こう言うのです。「おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」。
     私は、パウロはバルイエスの中に、過去の自分を垣間見たのではないかと思っています。するとたちまち、彼の目は閉ざされ、彼は手を引いてくれる人を探し回りました。その有様を見ていたセルギウス・パウルスは、信仰を決断するのです。さて、その後のバルイエスはどうなったのかは、聖書は教えていません。しかし、その名が「使徒の働き」に記されていることから、もしかしましたら、悔い改めて救われたのかも知れません。
     しかし、彼の身に神様の裁きがあったからこそ、セルギウス・パウルスは信仰を持ったのです。そうしますと、もしバルイエスが彼の元にいなかったとしたら、どうなっていたのでしょう。神様は、このように敵である者さえ用いられるお方なのです。パウロはこう証しています。『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちの為には、すべてのことが共に働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)』と。
     神様の御心の中には「偶然」はありません。実は、すべてが「必然」なのです。時が来れば状況は必ず変わります。神様の御手は常に動き続けています。状況ではなく、その状況の背後で働いておられる神様を信じようではありませんか。主はあなたや私と共におられるのですから。》

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