◇◆◇日々のみ言葉
2022年5月16日(月)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙1章20節~23節】
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
1:21 というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
◎ショートメッセージ
《この箇所は、現代訳を掲載して考えて見ましょう。
『と言うのは、目に見えない属性である、神の永遠の力と神性は、世界の創造以来、だれにもよく分かっていて、はっきり認められるのであって、だれ一人としていいわけの出来る者はいない。
彼らは、神を知りながらも、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その愚かな心は暗くなってしまった。彼らは、自分では賢いと言いながら、その実、愚かな者となり、不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間や、鳥や、獣や、爬虫類のようなもののかたちに変えてしまった。(現代訳ローマ人への手紙1:20~1:23)』
新改訳聖書の訳では、「被造物」となっていますが、普通この単語の意味は、創造された物のすべてを指し、そこには人格はないはずなのです。明らかにこれは誤訳です。しかも、その後に、「彼らは、神を知っていながら」と続きます。これは人格が存在しなければ、認識出来るはずがありません。
また、続く22節から23節において、人格のない物が、どうして神様を偶像に置き換えることが出来ると言えるのでしょう。現代訳では「被造物」を、「だれにも」と訳しており、すなわち人を指していることを明確にしています。
この箇所の意味をかいつまんで申しますと、『愚かな人間(選民ユダヤ人を指します)は、真の神様が誰であるのかを知りながら、偶像礼拝に行なった』、と言うことになります。
日本には、八百万の神々があると言われています。実際に、あらゆる所であらゆる物が祀られ、もっと言うならば、何でも神様になってしまいます。
かつての私も同様に、それらの物に伺いを立て、また拝んでいました。もちろん知らないでしたことなのですが、その罪の裁きは、決して免れません。それだからこそ、主イエス様が、身代わりとなって死んで下さったわけです。私の罪を赦し、私が生きる為に。》