◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月1日(水)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙2章28節~29節】
2:28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
2:29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
「文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼」について、再度考えて見たいと思います。
このことは、エレミヤ書に預言されています。
『見よ。その日が来る。主の御告げ。その日、私は、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、私が彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。私は彼らの主であったのに、彼らは私の契約を破ってしまった。主の御告げ。
彼らの時代の後に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。主の御告げ。私は私の律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、私を知るからだ。主の御告げ。私は彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(エレミヤ31:31~31:34)』と。
この約束の成就こそが、助け主なる聖霊様なのです。このお方の助けなくしては、この激動の世界をキリスト者として、勝利の人生を歩んで行くことは不可能だからです。
しかし、未だに、プロテスタント教会の中には、聖霊様を人格を持たれる神様であることを、信じようとしない教会があることも事実なのです。聖霊ではなく聖霊様なのです。このお方は、霊的な力ではありません。確かに、霊的な力の源であられるお方ですが。このお方は、人格を持っておられます。そして私たちの霊を通して、交わって下さいます。聖霊様との交わりこそが主イエス様との交わりであり、なおかつ父なる神様との交わりでもあるのです。
心の割礼とは、聖霊様をお迎えすることであり、聖霊様によるバプテスマのことを指しています。バプテスマには二段階が存在し、救いのバプテスマ(洗礼)と聖霊のバプテスマがあるのです。それぞれ人によっては、同時に受ける場合もあり、また別々に受ける場合もあります。》