◇◆◇日々のみ言葉
2022年5月31日(火)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙2章28節~29節】
2:28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
2:29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
◎ショートメッセージ
《昨日の聖書箇所を再度掲載します。
『もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。
もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。(ローマ 2:25~2:27)』
ここで、パウロが言わんとしていることは、「割礼」が条件ではないと言うことなのです。つまり、外見上は無割礼であったとしても、主イエス・キリストの救いを受けることが出来ると言うことなのです。
パウロがここで言う「文字」とは、モーゼ五書に書き記された律法のことを指しています。その律法を守ること、すなわち行ないによってではなく、助け主なる聖霊様によって、心に割礼を受けることこそが、本物の割礼であることを、パウロは教えています。
それでは、「心の割礼」とは何でしょうか。それは、創造主なる神様の第三位格であられる聖霊様がその人の体を神殿として、宮として住んで下さることを意味しています。
すなわち、「心の一新」です。聖霊様こそが、救いの証印なのです。》