◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月7日(火)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙3章7節~8節】
3:7 でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。
3:8 「善を現わすために、悪をしようではないか。」と言ってはいけないのでしょうか。――私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちの言葉だと言っていますが、――もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。
◎ショートメッセージ
《今回も現代訳を掲載いたします。
『3:7 またこのように言う人がいる。「私の偽りのおかげで、神の真理がいよいよ明らかにされて、神の栄光が輝くのであったら、どうして神は私をなおも罪人としてさばかれるのだろうか。
3:8 むしろ、善を来させるために、大いに悪をしようではないかと言った方がよい。」しかもある人々は、私たちを中傷して、信仰によって救われるという私たちの教えが、これだと言っている。こんなことを考える人間が罪に定められるのは、当たり前ではないか。』
尾山令仁師は、かなり説明を加筆していますが、それでも、パウロの真意はなかなかつかみにくいかと思われます。
ここに書かれたことは、実はあくまで「たとえ」なのです。真理は、必ず「さばき」があると言うことです。
人は、自分の犯した罪によってさばかれ、死後、行くべき場所が定められます。そして罪とは、律法によって明確にされ、パウロが言うように、人に律法が与えられたからこそ、人は罪が何たるものかを知ることになったのです。
それだからこそ、主イエス様は、人となって、この世界に来て下さいました。主イエス様を信じ、み言葉に従おうとする者たちは、あえて罪を犯す必要はありません。
もちろん、まだ身体は贖われてはおりませんから、罪を犯す可能性は残っています。しかし、助け主である聖霊様が、共に住んでおられますから、聖霊様と共に歩んで行けば、誘惑から勝利することが出来るはずです。》