◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月6日(月)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙3章5節~6節】
3:5 しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。
3:6 絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。
◎ショートメッセージ
《このあたりの論議は非常に難しいと言えます。文脈から推し量る為に、3章の最初から、現代訳を掲載します。
『3:1 それでは、ユダヤ人はどういう点ですぐれているのだろうか。また割礼には何か意味があるのだろうか。
3:2 もちろん、あらゆる点で大いにある。第一に、ユダヤ人は神の言葉をゆだねられている。つまり、彼らには大きな使命が与えられている。
3:3 ところで、彼らの中には不真実な者たちがいた。しかし、その不真実な者たちがいたからと言って、それによって、神の真実が無になってしまうだろうか。
3:4 とんでもないことだ。たとい、全世界の人が偽り者であったとしても、神こそは真実なお方である。それは、旧約聖書の詩篇に次のように書かれているとおりである。「あなたは、その仰せられるみ言葉によって、正しいことが示され、あなたが裁かれる時、勝利を得られる。」
3:5 しかし、「私たちが不正であることによって、神の正しさがいよいよ明らかになるのだとしたら、私たちの不正のおかげで神の正しさが現われるのだから、私たちの不正に対して怒りを下される神は不当ではないか」と言う人がいる。
3:6 とんでもないことだ。不正をいいかげんにするような神が、どうして世界を裁くことができるだろうか。』
尾山令仁師の現代訳は、パウロの言わんとする真の意味を伝えるために、あえてギリシャ原語を忠実に訳すのではなく、日本語の表現に沿った訳がなされています。
ローマ人への手紙は、聖書の最高峰であると言われていますが、その真理が難しい表現でわかりにくくなっているとするならば、非常に残念なことです。
今回の聖書箇所から、一番学ぶべきことは、神様は絶対的な善であり、義(正しさ)であり、また聖(きよさ)なるお方であることは、永遠に変わることがないと言うことです。》