◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月8日(水)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙3章9節~12節】
3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
◎ショートメッセージ
《今回も現代訳を掲載します。
『3:9 それでは、どうなのか。私たちユダヤ人は、異邦人と比べて優れていると言えるだろうか。決してそんなことはない。と言うのは、ユダヤ人でも異邦人でも、罪の下にあるということを、私たちはすでに指摘してきた。
3:10 それは、次のように旧約聖書に記されているとおりである。
「正しい人はいない。ひとりもいない。
3:11 真理の道を悟っている者はいない。神を求める者はいない。
3:12 すべての人が神から迷い出て、みな、無益な者となってしまった。善を本当に行なっている者はいない。ひとりもいない。」』
新改訳聖書では、「私たち」となっていますが、これでは、主語が判断出来ないのです。文脈から判断しますと、「主にあるローマ教会の兄弟たちとパウロ」となります。しかし、現代訳では、主語を明確にする為に、あえて「私たちユダヤ人」と置き換えているのです。
これが正しいのです。また「責めた」と言う表現は、明らかに誤訳です。意味が為しえないからです。このような訳だからこそ、ローマ人への手紙はさらに難解となってしまうのです。
現代訳では、「指摘してきた」と、パウロの真意を見事に突いています。そして、パウロが引用したのは、詩篇14篇です。
『愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。(詩篇14:1~14:3)』
若干、その表現が異なっていますが、ほぼ同じ意味であるかと思われます。罪人の真実が描かれています。これこそが、救われる以前の私たち一人一人の姿だったのです。》