◇◆◇日々のみ言葉
2015年7月23日(木)
◎聖書箇所 【マルコの福音書2章25節~26節】
2:25 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
2:26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」
◎ショートメッセージ
《いよいよ主イエス対パリサイ人と律法学者との「安息日論争」が始まった。ここで主イエスは、彼らが良く知っているダビデの話を引用された。
『ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。アヒメレクはダビデを迎え、恐る恐る彼に言った。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか。」ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王は、ある事を命じて、『おまえを遣わし、おまえに命じた事については、何事も人に知らせてはならない。』と私に言われました。若い者たちとは、しかじかの場所で落ち合うことにしています。ところで、今、お手もとに何かあったら、五つのパンでも、何か、ある物を私に下さい。」祭司はダビデに答えて言った。「普通のパンは手もとにありません。ですが、もし若い者たちが女から遠ざかっているなら、聖別されたパンがあります。」ダビデは祭司に答えて言った。「確かにこれまでのように、私が出かけて以来、私たちは女を遠ざけています。それで若い者たちは汚れていません。普通の旅でもそうですから、まして今日は確かに汚れていません。」そこで祭司は彼に聖別されたパンを与えた。そこには、その日、温かいパンと置きかえられて、主の前から取り下げられた供えのパンしかなかったからである。(第Ⅰサムエル記21:1~21:6)』
この時、ダビデは、間違いなく律法を犯した。この規定については、レビ記24章に詳しく記載されている。
『あなたは小麦粉を取り、それで輪型のパン十二個を焼く。一つの輪型のパンは十分の二エパである。それを主の前の純金の机の上に、一並び六個ずつ、二並びに置く。それぞれの並びに純粋な乳香を添え、主への火によるささげ物として、これをパンの記念の部分とする。彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の前に、整えておかなければならない。これはイスラエル人からのものであって永遠の契約である。これはアロンとその子らのものとなり、彼らはこれを聖なる所で食べる。これは最も聖なるものであり、主への火によるささげ物のうちから、彼の受け取る永遠の分け前である。(レビ記24:5~24:9)』
主イエスは、イスラエルにおいて、歴史的人物の中で最も尊敬されているダビデが行なったことを引用された。なぜならダビデの子孫から「メシヤ」なるキリストが生まれることを、預言によって、彼らが良く知っていたからである。主イエスの父ヨセフ(と言っても養父)は、ダビデの家系につながる者であった。また何と母マリアも、ダビデの血筋を引く家系であったのである。旧約聖書の預言の通り、エッサイの根である主イエスこそが、まことの救い主であり、パリサイ人や律法学者が言う「人の子」である。そして「安息日」を制定された神ご自身であられるのだ。もし、ダビデと若い者が、供えのパンを食べることができなかったとしたら、その時に亡ぼされていたかも知れないのである。「安息日」は人のためにある。「安息日」のために、人が存在するのではない。パリサイ人と律法学者は、悪魔・悪霊どもによって、主がどのようなお方であるのか、全く目を曇らさせられていた。今、私たちの目は、しっかりと主イエスの十字架を見上げているだろうか。それとも、曇っていて視界が悪くなってはいないだろうか。》