• 日々のみ言葉 2015年7月24日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月24日(金)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書2章27節~28節】

    2:27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
    2:28 人の子は安息日にも主です。」

    ◎ショートメッセージ

    《なぜ神様は、「安息日」を造られたのであろうか。神様は創造のみわざを六日間でなされた。これを文字通り六日間、つまり24時間×6=144時間で創造されたとする立場と、ペテロが言うように、『しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(第Ⅱペテロ3:8)』というみ言葉から、実は創造のみわざの一日は、何億年という年月に相当する、と言った立場に分かれるのである。尾山令仁師は、文字通り六日間で創造された、という説を唱えている。聖書は一言一句、誤り無き神の言葉である。私は、もちろん前者の立場、すなわち神様はこの世界を、六日間ですべての創造をなされた、と信じる者である。
     しかし何とその後、聖書には、不思議なことが書かれているのだ。
    『こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。(創世記2:1~2:3)』
     何と、神様が休まれたのである。全地全能のお方が休まれたのだ。疲れを知らない方が休まれたのである。ここから安息日が生まれることになる。
     十戒には、こう書かれている。
    『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。(出エジプト記20:8~20:11)』
     私は、ここから一週間は七日間と神様が制定された、と信じる者である。何のために。その答えは、すでに主が言われている。「安息日は人間のために設けられたのです。」私たち人間に、休むことを教える為に、そしてその休みの日には、私たちが神様を礼拝するために、ともに集まることができるように、定められたのである。それにも関わらず、パリサイ人や律法学者たちは、安息日を守ることだけに重点を置き、「口伝律法」を定め、人間を安息日という、別の神の奴隷にしたのである。それゆえ主イエスは、「人間が安息日のために造られたのではありません。」と言われるのだ。パリサイ人や律法学者たちは、「口伝律法」を、いかに忠実に守っているか、そのことを誇りとしていた。まさしく形骸化した宗教がここにある。そして主イエスは次にはっきりと宣言された。「人の子は安息日にも主です。」ここで、主は「人の子」という言葉をあえて使われた。なぜならパリサイ人や律法学者たちは、「人の子」とは、誰を指し示すのか、十二分に理解していたからである。それはダニエル書に書かれているメシヤを指す。ここで主イエスは、ご自身が「人の子」つまり旧約聖書に預言されている「メシヤ」であることを宣言された。そればかりではない。ご自身こそは、「安息日」を定めたお方、つまり神ご自身であることを宣言されたのである。この時、パリサイ人や律法学者たちは、怒り狂うほどの殺意を主に抱いたのであった。彼らは、今、目の前におられるお方が、どのようなお方であるのか、全く理解できなかった。旧約聖書を知り尽くし、自他共に認める宗教家であるはずの彼らは、全く目が雲らされていたのである。今でも多くの人々の目は、敵である悪魔・悪霊によって曇らされている。その目の曇りを取り除くことこそが、私たちに与えられた使命ではないのだろうか。》

Comments are closed.