• 日々のみ言葉 2022年6月18日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2022年6月18日(土)

    ◎聖書箇所【ローマ人への手紙4章1節~3節】
    4:1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。
    4:2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
    4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

    ◎ショートメッセージ
    《ここでも現代訳を掲載します。
    『4:1 それでは、私たちの先祖アブラハムのことを考えてみよう。
    4:2 もしアブラハムが律法を行なうことによって救われたのであれば、誇ることができたであろう。しかし、神の目から見れば、誇ることができるものは何一つなかった。
    4:3 というのは、旧約聖書は何と言っているだろうか。「アブラハムは神を信じた。すると神は、アブラハムの信仰を受け入れられ、彼を救われた」とある。』

     新改訳聖書と現代訳聖書を並べて比べて見ますと、使徒パウロの伝えたいと欲する真意が手に取るように分かって来ます。ローマ人への手紙における「日々のみ言葉」は、最後まで、現代訳を掲載することにします。

     「義と認められ」と言う表現は、非常に分かりにくい表現であることに、今頃になって気づかされました。この言葉では、救われたことの本当の意味が薄められ、また主イエス様の十字架の恵みの尊さが、心から感じられなくなる気がいたします。

     ようするに、「義と認められ」と言う表現は、神様側から見た場合を表しており、「救われた」と言う表現は、私たち側から見た表現であると思われるのです。

     「すべては恵みです」
     アブラハムが救われたことも、恵みの何ものでもありません。確かに、聖書はアブラハムを「信仰の父」と表していますが。
     私たちが救われたことも、恵みの何ものでもないのです。神様がアブラハムを選ばれたように、私たち一人一人も選ばれた存在なのです。
     アブラハムと同じように、神様に取っては、私たちもかけがえのない存在なのです。愛して止まない存在なのです。だからこそ、主イエス様は、十字架に掛かって死んで下さったのです。
     私は、アブラハムは神様の名前を知らなかったと思っています。なぜなら神様は、モーゼに対して、初めてご自身の名前を明らかにされたからです。
     しかし私たちには、主イエスの名前が与えられています。私たちは、救い主であられ、創造主なる父なる神様のひとり子、主イエス様の名前を知っており、その名によって祈り求め、また、命じることが許されているのです。》

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