◇◆◇日々のみ言葉
2022年6月19日(日)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙4章4節~8節】
4:4 働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
4:5 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めて下さる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
4:6 ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
4:7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
4:8 主が罪を認めない人は幸いである。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『4:4 そもそも何かをした人がその結果得たものであれば、それは報酬であって恵みではない。
4:5 しかし、何もしないのに、罪を持っている者をそのまま救って下さる神を信じるなら、神はその人を救って下さるのである。
4:6 ダビデ王も、人が自分の善行によらず、神が恵みによって罪を赦し、救って下さった人の幸いについて、次のように詩篇で歌っている。
4:7「罪を赦され、罪をすっかり覆われた人は、幸いだ。
4:8 主がもはや罪をお認めにならない人は、なんと幸いなことだろう。」』
ここでパウロが言っていますことは、この世的な一般論です。働く者に対して、それに見合った報酬が支払われることは当然のことです。
しかし、本当は、これでさえも、主イエス様を信じる人に取っては、恵みの何ものでもありません。
「何の働きもない者」、あるいは「何もしないのに罪を持っている者」が、救い主であるイエス・キリストを信じるなら、神様はその人を救って下さると言うのです。
その後で、パウロはダビデの詩篇を引用しています。
「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」
「罪を赦され、罪をすっかり覆われた人は、幸いだ。主がもはや罪をお認めにならない人は、なんと幸いなことだろう。」
これこそ、ダビデの体験したことなのです。ダビデは大きな罪を犯しました。他人の妻を欲し、姦淫し、そしてその夫を策略によって殺したのです。しかも、自分に対して、忠実な部下であった者をです。
しかしダビデは、神様が遣わされた預言者ナタンの告発によって、悔い改めるのです。》