• 2022年10月16日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き20章7節~12節】(新約聖書p.276下段右側)
    20:7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。パウロは翌日に出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。
    20:8 私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんついていた。
    20:9 ユテコという名の一人の青年が、窓のところに腰掛けていたが、パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。抱き起こしてみると、もう死んでいた。
    20:10 しかし、パウロは降りて行って彼の上に身をかがめ、抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。
    20:11 そして、また上がって行ってパンを裂いて食べ、明け方まで長く語り合って、それから出発した。
    20:12 人々は生き返った青年を連れて帰り、ひとかたならず慰められた。

    ◎メッセージ【青年ユテコ】
    《パウロとルカは、コリントまで同行していた各教会の指導者と愛弟子たちと、トロアスで再会することが出来ました。そして、そこで七日間滞在したのです。その頃、異邦人の教会は、週の初めの日、すなわち主イエス様が復活された日曜日に集会を持っていました。なぜなら、ローマ帝国の異邦人社会では、土曜日を安息日として休む習慣はなく、土曜日も働き、日曜日に休んでいたからです。
     「パンを裂く為に集まった」と言うことは、聖餐式の交わりのことです。これは推測ですが、トロアスの教会の信者だけでなく、近隣の信者たちが、パウロと別れを惜しむ為に、集まって来たと思われます。そして、彼らと語ったり、話し合ったりしたのです。
     ところで、日本語訳では「語り合った」となっていますが、この言葉のギリシャ原語は、「ホミレーサス」と言う言葉なのです。ホミレーサスとは、「説教」のことです。パウロは、彼らに対して決別説教をしていたのです。
    「私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんついていた」ことを、ルカはあえて書き記していますが、当時の夜遅く開かれた集会は、いかがわしいものが多く、その場合、必要最小限のともしびの下、薄暗くした中で行なわれていました。しかし、パウロたちの集会は、そういう集会とは異なり、正々堂々とした集会であったので、たくさんのともしびが灯されていたのです。まさしく私たちは、「光の子」なのです。
     ユテコ(幸運という意味)と言う青年も、この日は働いて、この集会に参加したのです。会場は満員で、窓に腰掛けたこととは、そこしか空いていなかったからです。しかし、あまりにもパウロのメッセージが長く続くものですから、彼はついにうとうとし始め、そして三階から落ちてしまいました。医者ルカが駆けつけた時には、すでに死んでいたのです。
     そこにパウロが降りて来ます。そして「彼の上に身をかがめ」ます。これは、預言者エリヤが、雨が降らなかった3年間、養ってくれたやもめの一人息子が死んだ時に行なったことと同じです。息子は生き返ります。
     パウロが、「心配することはない。まだいのちがあります」と言ったのは、すでに生き返った後の言葉です。そして、パウロは三階まで戻り、ついには明け方まで説教を語り、トロアスから出航したのです。その時ユテコも、見送る人々の中におりました。この事件の報告の最後にルカはこう締めくくっています。
    『人々は生き返った青年を連れて帰り、ひとかたならず慰められた。』と。
     確かに、居眠りして三階から転落してしまった青年ユテコの不注意であったかも知れません。またパウロの説教が、あまりにも長かったかも知れません。しかし、この出来事を通して、人々の心の中に、主イエス様こそが真の神様であることが、深く刻まれたのです。
     ユテコのことは、聖書には詳しく書かれてはいませんが、後に、素晴らしい働きをする兄弟として成長し、伝道者に、あるいは教会の忠実な執事になったのではないでしょうか。》

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