◇◆◇日々のみ言葉
2023年1月27日(金)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙16章3節~4節】
16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
◎ショートメッセージ
《昨日から、「日々のみ言葉」は、ローマ人への手紙の最後の16章に入りました。もしこの章に副題をつけるとしたら、「よろしくの章」が良いのではないでしょうか。
ここでも現代訳を掲載します。
『16:3 クリスチャンである私の同労者であるプリスカ(プリスキラ)とアクラによろしく。
16:4 この人たちは、自分のいのちの危険をも冒して、私のいのちを救ってくれた。私だけでなく、異邦人の教会はみな、彼らに感謝している。』
これは、不思議な伝言です。コリントからエペソへと、パウロと行動を共にしていたはずのプリスカ(プリスキラ)とアクラがローマに戻っているというのです。
彼らは天幕作りの店を構えていました。ローマに彼らの本拠地があったことは明白です。紀元49年頃、クラウディウス帝のユダヤ人追放令が出された時にローマを退去し、コリントにやって来て、そこに天幕作りの支店を立ち上げました。
スエトニウス(『クラウディウス』25:4)によればこの追放令は、キリスト教を巡ってローマのユダヤ人たちの間に起った騒動をきっかけにして出されたとのことです。その時までにアクラ夫妻がキリスト教に回心していたことは間違いありません。
コリントでパウロと出会ったプリスカとアクラは、パウロを自分たちの家に住まわせ、同業者として天幕作りを共にしながら、その伝道を助けました。1年半以上の滞在の後、パウロがシリヤに向けて旅出つと、彼らもそれに同行し、エペソに渡ります。
そこでパウロは短期間伝道してからエルサレムに向かいましたが、プリスカとアクラはエペソにとどまって、天幕作りをしながら働きを継続します。
その頃、彼らの家はクリスチャンの集会所として開放され、パウロが再びエペソに戻って来た時には、代表的な家の教会になっていました。
その後、パウロは銀細工人デメテリオが扇動したアルテミス騒動に巻き込まれそうになりましたが、2人が「自分のいのちの危険をも冒して」パウロを守ったと言われています。
その後、クラウディウス帝の死によって、ユダヤ人追放令もしだいに有名無実化すると、ローマに戻ったと伝えられています。》