• 2023年2月12日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き22章11節~21節】(新約聖書p.281下段左側)
    22:11「私はその光の輝きのために目が見えなくなっていたので、一緒にいた人たちに手を引いてもらって、ダマスコに入りました。
    22:12 すると、律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が、
    22:13 私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ、再び見えるようになりなさい』と言いました。するとそのとき、私はその人が見えるようになりました。
    22:14 彼はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。
    22:15 あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。
    22:16 さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
    22:17 それから私がエルサレムに帰り、宮で祈っていたとき、私は夢心地になりました。
    22:18 そして主を見たのです。主は私にこう語られました。『早く、急いでエルサレムを離れなさい。私についてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。』
    22:19 そこで私は答えました。『主よ。この私が会堂ごとに、あなたを信じる者たちを牢に入れたり、むちで打ったりしていたのを、彼らは知っています。
    22:20 また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私自身もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの上着の番をしていたのです。』
    22:21 すると主は私に、『行きなさい。私はあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」

    ◎メッセージ【パウロのメッセージそのⅡ】
    《パウロは、ユダヤ人たちに向けて、語り始めました。紀元57年の頃と伝えられています。
    「私はその光の輝きのために目が見えなくなっていたので、一緒にいた人たちに手を引いてもらって、ダマスコに入りました。すると、律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が、私の所に来て、そばに立ち、『兄弟サウロ、再び見えるようになりなさい』と言いました。するとそのとき、私はその人が見えるようになりました。」
     アナニアとは、「主は恵み深い」と言う意味です。パウロは、彼が主の弟子であることを、明らかにはしていません。これは、アナニアに対する配慮です。
    「彼はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみ心を知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
     パウロは細心の心配りをしています。「私たちの父祖の神」とは、「アブラハム・イサク・ヤコブの神」のことです。また、主イエスの御名をあえて用いてはいないのです。
     そして「バプテスマ」とは、「ヨハネの悔い改めのバプテスマ」のことです。集まっているユダヤ人たちの中には、ヨハネから洗礼を授かった者たちもまだ存在していたと思われます。
    「それから私がエルサレムに帰り、宮で祈っていたとき、私は夢心地になりました。そして主を見たのです。主は私にこう語られました。『早く、急いでエルサレムを離れなさい。私についてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。』」
     サウロは、ダマスコからエルサレムに引き返したことが分かります。しかし、かつての仲間であったユダヤ人からは「裏切り者」とされ、使徒や信徒たちからは、「信徒を装った迫害者」と言うレッテルを貼られたからです。この後、サウロは生まれ故郷タルソに戻ります。
    「そこで私は答えました。『主よ。この私が会堂ごとに、あなたを信じる者たちを牢に入れたり、むちで打ったりしていたのを、彼らは知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私自身もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの上着の番をしていたのです。』すると主は私に、『行きなさい。私はあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」
     ここでパウロは、最初の殉教者ステパノのことについて言及しています。これは、紀元33年から34年の出来事であって、24年ほど前のことになります。この時まで、黙って聞いていた群衆は、再び「殺してしまえ」と叫び出します。
     ステパノがなぜ殉教する事になったのか、それは、天が開かれて、雲の間に主イエスの幻を見たからです。パウロも同じように、主の幻を見たのです。そして、選民ユダヤ人ではなく、彼らが忌み嫌う異邦人への伝道へと、パウロが遣わされたからです。
     この言葉の通りに、異邦人の国であるこの日本にもキリスト教が伝来して来ました。そして、恵みによって、私たちは救い出されました。》

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