◇◆◇日々のみ言葉
2023年4月16日(日)
◎聖書箇所【マルコの福音書3章1節~5節】
3:1 イエスはまた会堂にはいられた。そこに片手のなえた人がいた。
3:2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
3:3 イエスは手のなえたその人に、「立って、真中に出なさい。」と言われた。
3:4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。
3:5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
◎ショートメッセージ
《今日から、第3章に入ります。現代訳を掲載します。
『3:1 イエスはがまた会堂に入って来られると、そこには、片手の不自由な人がいた。
3:2 パリサイ派の人たちは、イエスが安息日にその人を治すかどうか、じっと伺っていた。それは、イエスを訴えるためであった。
3:3 イエスは手の不自由な人に、「立って、真中に出て来なさい。」と言われた。
3:4 それから、彼らに言われた。「安息日に善を行なうのと、悪を行なうのと、どちらが良いでしょうか。また安息日に、人の命を救うのと、殺すのと、どちらが良いでしょうか。」彼らは黙っていた。
3:5 そこで、イエスは心に憤りを覚えられ、彼らを見回し、その心のかたくななことを嘆きながら、手の不自由な人に向かって、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。』
この会堂とは、カペナウムのユダヤ人会堂のことです。そこには、片手の萎えた人がいました。マタイおよびルカによりますと、「彼ら」すなわち、パリサイ人や律法学者たちは、主イエスを訴える為に、その口実を求めて、あえて、片手の萎えた人を連れて来て、主が癒すかどうかじっと見ていたとあります。
何度も書き記していますが、安息日における医療行為は、命の危険が迫っている緊急事態を除いては、禁止されていたのです。つまり「仕事」になるわけです。
これこそまさに本末転倒です。主イエスは、パリサイ人や律法学者たちの思惑をすべて知っておられました。
しかし、それにも関わらず、主は片手の萎えた人を癒されるのです。なぜなら、その問題こそが、その人の最大の悲しみであったからです。
そして、主は、その人を心から愛し、哀れまれたからこそ、言葉をかけられたのです。「立って、真中に出て来なさい。」明日も同じ箇所からとなります。》