◎本日の聖書箇所【使徒の働き24章10節~21節】(新約聖書p.286上段右側)
24:10 そのとき、総督がパウロに話すよう合図したので、パウロは次のように答えた。「閣下が長年、この民の裁判をつかさどってこられたことを存じておりますので、喜んで私自身のことを弁明いたします。
24:11 お調べになれば分かることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。
24:12 そして、宮でも会堂でも町の中でも、私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを見た者はいません。
24:13 また、今私を訴えていることについて、彼らは閣下に証明できないはずです。
24:14 ただ、私は閣下の前で、次のことは認めます。私は、彼らが分派と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えています。私は、律法にかなうことと、預言者たちの書に書かれていることを、すべて信じています。
24:15 また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。
24:16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。
24:17 さて私は、同胞に対して施しをするために、またささげ物をするために、何年ぶりかで帰って来ました。
24:18 そのささげ物をし、私は清めを済ませて宮の中にいるのを見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。
24:19 ただ、アジアから来たユダヤ人が数人いました。もしその人たちに、私に対して何か非難したいことがあるなら、彼らが閣下の前に来て訴えるべきだったのです。
24:20 そうでなければ、ここにいる人たちが、最高法院の前に立っていたときの私に、どんな不正を見つけたのかを言うべきです。
24:21 私は彼らの中に立って、ただ一言、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前でさばかれている』と叫んだにすぎません。」
◎メッセージ【総督フェリクスへのパウロの弁明】
《ローマ総督フェリクスの所に、エルサレムから大祭司アナニアが、弁護士テルティロとユダヤ人の長老たちを伴って、カイサリアにやって来ました。そして、その裁判席において、パウロは引き出され、まず初めに弁護士テルティロが、三つの点について訴えたのです。
一つ目は、「この男はまるで疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者」であるということです。パウロは、
『「お調べになれば分かることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。そして、宮でも会堂でも町の中でも、私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを見た者はいません。」』と弁明します。
次に、二つ目は、「ナザレ人の一派の首謀者」であると言うことです。
『「私は閣下の前で、次のことは認めます。私は、彼らが分派と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えています。」 』
当時、主イエスの教えは、「ナザレ人の一派」として、ユダヤ教の中の一つの派として考えられていました。パウロはあえて、それを認めた上で弁明しています。
そして三つ目は、「この男は宮さえも汚そうとした」と言うことです。パウロは、『さて私は、同胞に対して施しをするために、またささげ物をするために、何年ぶりかで帰って来ました。そのささげ物をし、私は清めを済ませて宮の中にいるのを見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただ、アジアから来たユダヤ人が数人いました。もしその人たちに、私に対して何か非難したいことがあるなら、彼らが閣下の前に来て訴えるべきだったのです。』と弁明します。
「アジアから来たユダヤ人」とは、アジア州の首都エペソからやって来たユダヤ人たちのことです。彼らは、パウロとエペソ教会の指導者であるギリシャ人トロフィモを良く知っています。その彼らが巡礼に来た時に、エルサレムにおいて、パウロとトロフィモも見かけたのです。そして、パウロが宮に異邦人トロフィモを連れ込んだと錯覚したのです。この時の現場を、大祭司アナニアもテルティロも長老たちも見てはいないのです。
またパウロは、この後、最高法院が真っ二つに割れた理由を述べます。それは、「死者の復活」についてのことです。この預言は、ダニエル書に書き記されています。パリサイ人や律法学者たちは、ここから死者の復活を信じているわけです。しかし、サドカイ人や祭司長や祭司は、復活も霊も、そして御使いの存在をも信じていないのです。
パウロはコリント人への手紙において、明確に証しています。
『ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。』と。
主イエスは、私たちの罪の身代わりとして十字架に架かって死んで下さいました。しかし、三日目によみがえられたのです。そして今も生きておられます。これが真実であり、事実なのです。》