◇◆◇日々のみ言葉
2023年5月15日(月)
◎聖書箇所【マルコの福音書4章10節~12節】
4:10 さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
4:12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
◎ショートメッセージ
《一昨日および昨日と同じ箇所からとなります。再三ですが現代訳を掲載します。
『4:10 イエスが一人だけになると、いつも一緒にいる弟子たちが、十二弟子と共に、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがた弟子たちには、神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには許されていません。ですから、すべてたとえで言わなければならないのです。
4:12 それは、旧約聖書にあるように、「彼らは確かに見るには見るが見えず、聞くには聞くが悟らない。悔い改めて赦されることがないほど悪くなっている」のです。」』
昨日は、主イエスが語られた「たとえ」について考えて見ました。今日は、主イエスが旧約聖書から引用された言葉について考えて見たいと思います。
「それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」(新改訳)
「それは、旧約聖書にあるように、「彼らは確かに見るには見るが見えず、聞くには聞くが悟らない。悔い改めて赦されることがないほど悪くなっている」のです。」(現代訳)
これはイザヤ書からの引用です。原文は、
『すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」(イザヤ6:9~6:10 )』となっています。
また、この言葉は、イスラエルの人々にだけ向けられたのではありません。すべての人々にも向けられています。主イエスの十字架こそ、父なる神様からの人類への最大のプレゼントなのです。その素晴らしい「福音」を知るには、あるいは「赦し」と「永遠のいのち」を掴むには、主イエス様の言葉に聞き従がわなくてはならないのです。
「見続けよ」
何を。主イエスご自身をです。
「聞き続けよ」
何を。主イエスの語られたみ言葉です。
弟子たちは、その目で見たのです。弟子たちは、その耳で聞いたのです。
主イエスを救い主として受け入れるには、聖霊の働きなくしては、ありえないのです。》