• 2023年5月14日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き25章13節~27節】(新約聖書p.288上段真中)
    25:13 数日たって、アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た。
    25:14 二人がそこに何日も滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して、次のように言った。「フェリクスが囚人として残して行った男が一人います。
    25:15 私がエルサレムに行ったとき、祭司長たちとユダヤ人の長老たちが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるよう求めました。
    25:16 そこで、私は彼らにこう答えました。『訴えられている者が、告発する者たちの面前で訴えについて弁明する機会が与えられずに、引き渡されるということは、ローマ人の慣習にはない。』
    25:17 それで、訴える者たちがともにこちらに来たので、私は時を移さず、その翌日に裁判の席に着いて、その男を出廷させました。
    25:18 告発者たちは立ち上がりましたが、彼について私が予測していたような犯罪についての告発理由は、何一つ申し立てませんでした。
    25:19 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関すること、また死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのです。
    25:20 このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに行き、そこでこの件について裁判を受けたいか』と尋ねました。
    25:21 するとパウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと訴えたので、彼をカエサルのもとに送る時まで保護しておくように命じました。」
    25:22 アグリッパがフェストゥスに「私も、その男の話を聞いてみたいものです」と言ったので、フェストゥスは、「では、明日お聞きください」と言った。
    25:23 翌日、アグリッパとベルニケは大いに威儀を正して到着し、千人隊長たちや町の有力者たちと共に謁見室に入った。そして、フェストゥスが命じると、パウロが連れて来られた。
    25:24 フェストゥスは言った。「アグリッパ王、ならびにご列席の皆さん、この者をご覧ください。多くのユダヤ人たちがみな、エルサレムでもここでも、もはや生かしておくべきではないと叫び、私に訴えてきたのは、この者です。
    25:25 私の理解するところでは、彼は死罪に当たることは何一つしていません。ただ、彼自身が皇帝に上訴したので、私は彼を送ることに決めました。
    25:26 ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事柄が何もありません。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王、あなたの前に、彼を引き出しました。こうして取り調べることで、何か私が書き送るべきことを得たいのです。
    25:27 囚人を送るのに、訴える理由を示さないのは、道理に合わないと思うのです。」

    ◎メッセージ【アグリッパ王とベルニケ】
    《フェストゥスがローマからカイサリアに赴任して来た数日後のことです。エルサレムから当時のユダヤの王アグリッパ2世とそのすぐ下の妹ベルニケが、あいさつにやって来たのです。二人はカイサリアに何日も滞在しました。もちろんカイサリアには、ヘロデの宮殿があったことは言うまでもありません。
     さて、アグリッパ2世ですが、ヘロデ・アグリッパ1世の息子として紀元27年に生まれました。ヘロデ大王の曾孫にあたり、ベルニケとドルシラ(総督ペリクスの妻)の兄で、ローマの宮廷で育ちました。紀元44年に父が死んだ時、彼がまだ若すぎる(当時17歳)という理由で、皇帝クラウディウスはユダヤを総督の支配下におきましたが、紀元48年に、おじのカルキス王ヘロデ・ピリポ(ベルニケの夫)の死に伴い、その領地を継承し、王となりました。紀元52年にはパレスチナ北部のずっと広い領地が与えられ、さらに紀元56年には皇帝ネロからガリラヤとペレヤの一部を受けたのです。紀元66年にユダヤ戦争が起ってからはローマ側に立ち、戦後領土拡張をもって報いられました。紀元100年頃ローマで没したものと思われています。
     次ぎにベルニケとは、ヘロデ・アグリッパ1世の2番目の子で、ドルシラの姉で、紀元28年に生まれました。絶世の美女と言われ13歳の時に自分のおじのヘロデ・カルキス王と結婚し、彼が紀元48年に死んだ後、自分の兄のアグリッパ2世と近親相姦の関係を持つようになったというのです。そのうわさを否定する為に、キリキヤの王ポレモンと結婚しましたが離婚し、また兄のアグリッパ2世の所に戻ったのです。その時に、総督フェストゥスから持ち出されたパウロの上訴の件で、ベルニケはアグリッパ2世と一緒にパウロの証しの弁明を聞くことになります。
     以前にも、父ヘロデ・アグリッパ1世にも、ゼベダイの息子である使徒ヤコブを通して、悔い改めの機会が与えられましたが、彼を殺害し、さらにペテロをも殺害しようとしました。しかし御使いの介入によって阻止され、演説において、神様の栄光を帰さなかった為、虫に噛まれて死んだと伝えられています。
     また、前々国王であったヘロデ・アンティパスにも、神様の特別な計らいによって悔い改めの機会が与えられていました。しかも、それは十字架に掛けられる直前の主イエス本人に出会うと言う恵みであったのです。
     しかし、彼らは悔い改めることをせず、また恵みを受け取らず、神様の裁きの中にこの世を去って行ったのです。
     さて、後任となったローマ総督フェストゥスは、総督在任中、治安維持において大いに業績を挙げ、問題を次々とかたづけて行きました。しかし惜しくも着任して2年後に若死にしたと伝えられています。しかし、彼自身も、パウロから主イエスの福音を聞くことになったことも、主イエスが備えられた「神の時」ではなかったのではないでしょうか。
     当時の世界においてでさえ、神様はあらゆる手段を用いられて、悔い改めの機会を与えられています。そうだとすると、なおさら情報網が発達している現在の状況下においては、人々は多くの悔い改める機会と、救いに導かれる機会が前もって備えられ、与えられているのではないでしょうか。大切なことは、神様のみ言葉に聞き従うことなのです。そして、もう一人の助け主である聖霊様とみ言葉と共に、日々歩んで行くことなのです。
     次回は、ヘロデ・アグリッパ2世と長女ベルニケ、そして総督フェストゥスが、いよいよパウロから直接、主イエス様の福音を聞くことになる場面からのメッセージとなります。》

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