◇◆◇日々のみ言葉
2023年5月14日(日)
◎聖書箇所【マルコの福音書4章10節~12節】
4:10 さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
4:12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度、現代訳を掲載します。
『4:10 イエスが一人だけになると、いつも一緒にいる弟子たちが、十二弟子と共に、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがた弟子たちには、神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには許されていません。ですから、すべてたとえで言わなければならないのです。
4:12 それは、旧約聖書にあるように、「彼らは確かに見るには見るが見えず、聞くには聞くが悟らない。悔い改めて赦されることがないほど悪くなっている」のです。」』
昨日は、「いつもつき従っている人たち」について考えて見ました。今日は、主イエス様の弟子たちへのお答えについて考えて見たいと思います。
「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。」(新改訳)
「あなたがた弟子たちには、神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには許されていません。ですから、すべてたとえで言わなければならないのです。」
(現代訳)
新改訳と現代訳では、かなり異なった解釈がなされています。ここでは、現代訳の方が真意を伝えています。新改訳は誤訳とも言えます。
主イエス様は、「たとえ」を用いて教えられたのです。なぜなら詩篇には、来るべき「メシア」はたとえを用いて教えられることが預言されているからです。
そして、パリサイ人や律法学者たちには、語られた「たとえ」の解き明かしを主はされませんでした。
しかし、つき従ってきた人々や十二弟子たちには、パリサイ人や律法学者たちがいない場所で、その解き明かしをされたのです。明日も同じ箇所からとなります。》