◇◆◇日々のみ言葉
2023年5月13日(土)
◎聖書箇所【マルコの福音書4章10節~12節】
4:10 さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
4:12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『4:10 イエスが一人だけになると、いつも一緒にいる弟子たちが、十二弟子と共に、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがた弟子たちには、神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには許されていません。ですから、すべてたとえで言わなければならないのです。
4:12 それは、旧約聖書にあるように、「彼らは確かに見るには見るが見えず、聞くには聞くが悟らない。悔い改めて赦されることがないほど悪くなっている」のです。」』
「イエスだけになったとき」とは、大勢の群衆を解散させた後、主イエス様と弟子たちだけになった時のことを表わしています。
また、「いつもつき従っている人たち」とは、ガリラヤから主イエス様の一行と共に行動している女性たち、そして十二使徒以外の60人以上の弟子たちのことを表わしています。この中には、マッテアとバルナバもいたことは、ほぼ確実です。
実際に、この時から、何人の女性たちが、そして十二使徒以外に何人の弟子たちが、行動を共にしていたのかは分かりません。
四つの福音書を総合して判断しますと、少なくとも6名の女性たちの名前は明らかとなります。
主の母マリア、ゼベダイの妻サロメ、マグダラのマリア、クロパの妻マリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ヨハンナです。
また主イエス様が復活された後に、ヨハネ・マルコの家には、120名の人々が集まっていたと書かれています。その中には、主の四人の弟たちや妹たちも含まれていると思われます。主の家族を差し引いても、十一使徒を含む113名の兄弟姉妹が、祈っていたことが分かります。この少ない人数こそが、初代教会の始まりであり、福音が広められる原動力となった人々なのです。明日も同じ箇所からです。》