• 2023年6月18日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き27章13節~26節】(新約聖書p.292上段左側)
    27:13 さて、穏やかな南風が吹いて来たので、人々は思いどおりになったと考え、錨を上げて、クレタの海岸に沿って航行した。
    27:14 ところが、間もなくユーラクロンという暴風が陸から吹き降ろして来た。
    27:15 船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができず、私たちは流されるままとなった。
    27:16 しかし、カウダと呼ばれる小島の陰に入ったので、どうにかしっかりと小舟を引き寄せることができた。
    27:17 そして小舟を船に引き上げ、船を補強するために綱で船体を巻いた。また、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具を降ろし、流されるに任せた。
    27:18 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、
    27:19 三日目には、自分たちの手で船具を投げ捨てた。
    27:20 太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。
    27:21 長い間、だれも食べていなかったが、そのときパウロは彼らの中に立って言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。
    27:22 しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。
    27:23 昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、
    27:24 こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』
    27:25 ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。
    27:26 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

    ◎メッセージ【良い港を船出して】
    《アレクサンドリアの大型商船は、なんとか「良い港」に寄港し、そこで停泊しました。しかし、船長たちは、この港よりも、クレタ島の反対側にあります「フェニクス」に行くことを考えていたのです。すると、穏やかな南風が吹いて来たのです。船長たちは思いどおりになったと考えて、錨を上げて、クレタの海岸に沿って、船を航行させました。しばらくしますと、「ユーラクロン」という暴風が陸から吹き降ろして来たのです。「ユーラクロン」とは、クレタ島の海抜二千メートルを越す山々から吹き降ろす突風のことです。
     船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができず、流されるままとなってしまいました。やがて船は暴風に激しく翻弄され、太陽も星も見えない日が何日も続き、276人の乗客が助かる望みも今や完全に絶たれようとしています。その時パウロは立って言いました。
    「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。」
     ここで、パウロは、「良い港」に停泊していた時に、『「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」』と語った事を、船長たちに思い起こさせています。
    「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」
     276名の乗客全員が救われることを主は約束されたのです。そして、船主と船長は船や積み荷を、乗客は自分の荷物全部を失うことになるわけですが、その代わりに彼らは救われ、「永遠の命」をいただくことになるのです。まさにパウロがローマ書において語った通りです。
    『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』と。
     今回パウロが語った言葉は、そこにいた人々を勇気づけたことは明白です。それゆえ、私たちも人前において、語るべき時が与えられたら、聖霊の力を借りて、大胆に恵みといのち溢れる言葉を語ろうでは、ありませんか。》

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