◇◆◇日々のみ言葉
2023年6月26日(月)
◎聖書箇所【マルコの福音書6章4節~6節】
6:4 イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
6:5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
6:6 イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『6:4イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里や自分の親族、家族の間だけです。」
6:5 それで、そこでは彼らが不信仰であったので、何一つ力強い奇跡をなさらず、わずかの病人に手を置いて治しておやりになっただけであった。
6:6 イエスは、彼らの不信仰を悲しまれた。』
主イエスは、安息日になったので、ナザレにあるユダヤ人の会堂で教え始められたのです。それを聞いた多くの人々は驚いて互いに言いました。
「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人の授かった知恵や、この人の手で、行なわれるこのような力強い奇跡をする力とは、いったい何なのでしょう。この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄さんではありませんか。妹たちも、私たちと一緒にいるではありませんか。」と。
それを耳にした主イエスは、彼らにこう言われたのです。
「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」と。
旧約聖書の時代において、神様は多くの預言者を召し出されましたが、彼らも、主イエスと同じ様に、自分たちの郷里や親族や家族の間では、認められず尊敬されなかったかも知れません。
その結果、主イエス様は、ナザレでは何一つ力強い奇跡をなさらず、わずかの病人に手を置いて治してただけであったのです。
なぜなら、彼らが不信仰であったからです。また、主イエスは、彼らの不信仰を悲しまれたとあります。
不信仰は、何一つ良い物を生み出しません。不信仰は、まさしく罪です。もし、ナザレの人々が、昔のイエスではなく、今目の前にいます、メシアなる主イエスを信じ受け入れたとしたら、ナザレの人々は間違いなく、大きなリバイバルを体験したのではないでしょうか。》